HOMENOVEL>リックとマモノのエサのノラ

リックとマモノのエサのノラ

   十二 ノラの冒険

 雨は弱いながらも降っていた。屋根を高らかに打ち鳴らすほどの力はないようだ、これなら昼には上がるだろうね、とおじいさんが言った。
 朝ごはんは村人みんなで揃って食べた。エノおばさんの卵焼き、セドじいさんのソーセージ、サイラスおじさんの畑で採れた野菜のサラダ、デリックのお父さんとお母さんが焼いたパン。子どもたちは好物を取り合ったり分け合ったり、賑やかなひとときだった。
「わたしもマモノにごはんをあげられないかしら」
 リックとノラがマモノにごはんをあげていると、ケイシーが言った。
「ノラは、マモノ使いじゃないのにごはんをあげているでしょう。わたしもできたらいいなと思ったの」
 そう言いながら、ノラのとなりに腰を下ろし、マモノに手を伸べる。しかしマモノは群がるばかりで、食べる気配はない。
 ケイシーはしょんぼりと肩を落とした。
「やっぱりダメなのかしら」
 呟きに反応して、マモノが顔を上げる。おや、とリックは目を見開いた。マモノがこんな顔をするなんて初めて見た。
 気づいているのかいないのか、ケイシーはマモノをなでながら続ける。
「ノラが帰ってしまったら、リックが大変になるわ。こんなに増えてしまったんだもの。ねえ、わたしから食べてちょうだいよ」
 ケイシーの懇願に、リックは思わずうれしくなった。そんなことを考えてくれていたのか。
 いっぽうノラは、首をかしげて口をとがらす。
「わたし、かえらない」
「えっ?」
 ギョッとしてノラを見やる。眉と眉のあいだに三本の線を並べ、目線は力なくゆらゆらと落ちていく。
 リックとケイシーは、思わず顔を見合わせた。それからまたノラを見た。
「どうして? おうちに帰りたくないの?」
「かえらない、だって‥‥」
 そこまで言うと、ノラは黙ってしまった。しきりに首をかしげ、手をふわふわと揺らす。本当はもっと言いたいのだけれど、うまく言えないみたいだ。やがて諦め、手はゆっくりと床に着地する。
 どうしてそんなことを言うのだろう。
 シド島での暮らしが楽しいからだとすればうれしい。島に来てまだ二週間ほどだというのに、ノラはすっかりなじんでいる。言葉も、たどたどしいながら、ずいぶん話せるようになった。ぼくもノラとおしゃべりしているのに、翻訳の手伝いまでしてもらっているのに、ぜんぜん覚えない。ノラは頭がいい。感心してしまう。
 だけど家に帰りたくないと思うほどだろうか。猫のノラを思い出す。二度と帰れないかもしれない旅で、ぜったい帰ってくると誓ったノラ。夜空を見上げては故郷を探すノラ。
 人間のノラは、寂しいとか、帰りたいとかというそぶりは見せない。初めのころはどこかおどおどとしていたけれど、近ごろはそれもない。家族や友だちと会いたくならないのかな。慣れ親しんだ町や家、言葉に戻りたくはないのかな。
 ママだって、きっと。
「ママは、‥‥きっと心配しているよ」
 出だしは大きく、途中から小さな声で言った。ママと口にしたとたん、ノラの表情が変わったからだ。案の定、ノラは首を横に振った。
「まま、いない。ぱぱも」
「そう――じゃあ、ぼくと同じだね」
「そう、おなじ」
 ニッコリほほ笑んで、元気よくうなずく。その笑顔を見て、リックはそっと胸をなで下ろした。同じという言葉を、うれしそうに繰り返す。
 そしてこう言った。
「いま、わたし、さみしくない」
 え? 聞き返そうとしたとき、ケイシーが叫んだ。
「ねえ見て、マモノがわたしからごはんを食べたわ!」
 見ると、マモノがケイシーの手から、代わる代わるごはんを食べている。マモノがお願いを聞いてくれるだなんて! ケイシーがあんまりはしゃぐものだからほかの子たちもやって来て、いきさつを聞くと大騒ぎ、われもわれもと手を伸べる。
 けれどケイシーのほかにマモノが懐くことはなかった。バーツは最後まで粘っていたけれど、マモノは見向きもせず、地団駄を踏んでいた。


 ジェシーは大きな家の庭に住んでいる。庭にはジェシーのための小屋があるのだけれど、本人は気にくわないらしい。彼が寝起きするのは、大きな家の壁から飛び出した窓の下だ。小屋は窮屈なのだという。
 それでノラたちは、ひどい雨の日や寒い日などは、ジェシーの小屋にお邪魔した。身を寄せ合うととても温かかった。反対に暑くて寝苦しい夜は、小屋の外で、ジェシーといっしょに眠った。風がよく通って気持ちがいい。
「ありがとう、ジェシー。とっても助かるよ」
「お安いごようさ。だけど、ご主人に見つからないようにね。ご主人は猫が嫌いなんだ」
 ジェシーの主人は毎日おいしい食べものを用意してくれる。ジェシーはそれを少し取っておいて、ノラたちに分けてくれる。こっそりだ。主人に見つかると、怒鳴られ追い払われる。
 あちこちの星を調査して回った勇敢な隊員たちだ、怒鳴られるくらい、ちっとも怖くない。だけどジェシーの主人と来たら乱暴で、いつまでも居座っていると、竹ぼうきを持って来て振り回す。これがチクチクして実によくない。親切な人ばかりじゃないんだな。ジェシーの忠告を、ノラは心に刻んだ。
「ところで、猫って?」
「きみたちは、この星の猫って生きものにそっくりさ」
 なるほど、町を歩いていると、猫にたびたび出会った。仲間だと思って挨拶したけれど、ジャラッシー星のことを話すと、冗談だろうと笑われてしまった。
 先に来た人たちのことを知っている人はいないかしら。
 もちろん、ノラたちの話を真剣に聞いてくれる人もいた。白猫のサーシャもその一人だ。白いふわふわの毛を繕いながらこう言った。
「この星はとっても広いのよ。その人たちはどこに降りたのかしら。それがわかれば、もうすこし簡単なのだけど」
「広いって、どれくらい?」
「人間たちでも、世界を一周した人は少ないくらいよ。猫にはとても無理だわ」
「なんだなんだ、おもしろそうな話をしているね」
 文字通りくちばしを挟んだのは、渡り鳥のカーカーだ。焦げ茶の大きくて立派な両翼でノラたちをバサバサと扇ぎ、小さな瞳を宝石みたいに輝かせる。
 サーシャが事情を説明すると、カーカーはなあんだ、と軽快に笑った。
「それなら任せてくれ。仲間に言って、それらしい人がいたら連絡してもらおう」
「ありがとう!」
 大喜びで飛び跳ねるノラに、けれどカーカーは首を振る。
「おっと、ただじゃないぜ」
「えっ?」
「協力してやる代わりに、おれたちの手伝いもしれくれよ」
「なあんだ、いいとも!」
「約束だぞ」
 カーカーはそう言って飛び立った。喜ぶノラたちの横で、サーシャは、困ったことになったわね、とため息をついた。


 第一章を翻訳し終えたとき、リックは達成感に震えた。本の十分の一くらいだ、先はまだまだ長い。それでも自信をつけるには十分だった。
「お話がおもしろいから、ちっとも苦じゃないや」
 そんなことを考えていたら、オリーブたちがやって来た。リックは、待ってましたとばかり玄関へ駆けていった。第一章の翻訳ができたことを、早くノラに伝えたかった。
 ドアを開けると気持ちのいい風が吹きこんできた。空はすっかり晴れている。真っ青な空に元気な太陽、白い雲はぷかぷかと浮かび、海鳥がスイーと飛んでいく。絶好の読書日和だ。
 けれど、ノラの姿がない。
「あれ、ノラはいっしょじゃないの?」
「ノラなら先に出たんだけど、来てないの?」
「えっ?」
 目も口も大きく開けて、みんなが慌て出す。みんなというのはつまり、オリーブ、ドリー、ケイシー、それからリックだ。
「迷子になっちゃったのかしら」
 ノラは毎日ここへ来ているけれど、一人で来たことはなかった。だけどオリーブの家からはそんなに離れていないし、なによりノラは頭がいい。迷子になんてなるだろうか。
「考えてもしかたがない、探しに行こう!」
 リックが言うと三人はうなずき、早足で外へ出た。リックは一度部屋へ戻って、鞄にマモノの寝床を入れ、駆け足で追いかけた。
 まずはオリーブの家まで歩いた。長い雨のせいで道はぬかるみ、道ばたの草花はしずくの重みで首を垂れる。風が吹くとようやく重荷を下ろすけれど、疲れてしまったのか、ぐったりとしている。
「ねえ、足跡があるわ。ノラじゃないかしら」
 ドリーが指さしたのは、リックの家とは反対方向へ続く道だった。たしかに足跡がかすかに残っている。四人は転ばないように気をつけながら足跡をたどった。
 セドじいさんの豚小屋の前でバーツたちと出会った。五人でチロを取り囲み、なにやら一所懸命話しかけている。声をかけると気まずそうに顔をしかめた。
「ねえ、ノラを見なかった?」
「ノラなら――あれ、さっきまでここにいたんだけどなあ」
 エルドレッドがキョロキョロしながら、のんびりした口調で答えた。
 豚小屋のうしろからケイシーが呼ぶ。
「こっちの道に足跡があるわ! 森へ入ったみたい」
 すぐに駆けつける。足跡は森に入ってすぐのところでわからなくなった。枯れ葉や小枝が土を覆い隠している。背筋がゾッとした。
 村の子どもでも、慣れていないと迷子になることがある。ノラはあの日以来入っていないはずだ。間違って川の向こうへ進んでしまったら大変だ。さっきまでここにいたなら、走れば追いつけるかもしれない。
 森の魔物を探すとき、エドワード卿はどうしていたっけ。リックはダブルとトリプルを出すと、こう命令した。
「ダブルは、ノラを探して、見つけたら追いかけて。
 トリプルは、ノラを探して、見つけたらぼくに教えて、ぼくをノラのところへ案内して」
 とたんマモノたちが走り出す。それから、ええと、どうするんだっけ? そうだ、トリプルが戻ってくるまで待たないと――そら、帰ってきた。
「よし、行こう――そうだ、もしかしたら、ぼくが見つける前にノラが自分で戻ってくるかもしれない。みんなはここで待っていてよ」
 そう言い残し、トリプルのあとを追って森へ入った。
 雨のあとの森は、村のなかよりもっともっと歩きにくかった。普段から軟らかい土はいっそう軟らかく、一歩踏むとズブズブと沈む。落ちた葉はびっしょりと濡れ、踏むとよく滑る。根と根のあいだには水たまりができている。風が抜けると、頭上からぽたぽたとしずくが降ってきた。
 マモノには足下の悪さなんて関係なし、トリプルはどんどん進む。丘のように盛り上がったところを乗り越えようとしたとき、ついに足を取られた。
「おっと」
 わ、と思った瞬間、背中を支えられた。バーツだ。そのうしろにはケイシーの姿もあった。
「ありがとう‥‥ついてきてくれたの」
「一人じゃ危ないだろう」
 バーツがぶっきらぼうに言う。ケイシーは自慢げに足下を見せて、わたしは長靴だから、と胸を張った。
「オリーブとドリーは大人の人に知らせに行ったわ。デリックたち四人は、森の出口になりそうなところを、バラバラに見張ってる。ノラがどこから出てきても見つけられるわ」
「なるほど、それはいいアイディアだね」
「バーツが考えたのよ」
 ケイシーがフフと笑うと、バーツは顔を赤らめて口をへの字にした。
「さっさと追いかけようぜ。おれたちのほうが慣れちゃいるけど、転んでけがでもしたら大変だ」
 トリプルは五メートルくらい先でリックたちを待っている。
まえがき十一・ 十二・ 十三十四・ 次回は四月十二日更新予定
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