HOMENOVEL>リックとマモノのエサのノラ

リックとマモノのエサのノラ

   八 ノラ

 お昼ごはんを食べたあと、ノラはまたベッドで休んだ。水を入れたポットとコップ、それから本棚からシーフィシュ語の本を出して、机の上に並べた。動き回れないとはいえ、寝てばかりじゃあ退屈だろうから。
「のどが渇いたら飲んでね。好きな本を読んでね」
 言葉はわからないはずだけど、身振り手振りで示すと、ノラはニッコリと笑ってなにか言った。リックも笑顔を返した。
 ノラが横になって目を閉じると、リックはそっと部屋を出た。エノおばさんのところへ行かなくちゃ。すっかり遅くなってしまったけれど、なにか手伝うことはあるだろう。ノラのことも報告しておかなくちゃ。さっきまた起きたよ、いっしょにごはんを食べたよ、名前はノラだよ、って。
 家を出たとき、ちょうどケイシーとドリー、オリーブがやって来た。
「こんにちは、リック。お出かけ?」
「うん、エノおばさんのところへ手伝いに行くんだ」
 そう答えると、三人は顔を見合わせ、小声で短いやりとりをした。やがてリックに向き直り、オリーブが言った。
「そう。わたしたち、また本を読ませてもらいたくて来たんだけど、ダメかしら。散らかしたり、汚したり、ぜったいにしないから」
 いいよ、と言いかけてやめた。この三人のことは信頼している、約束なんかしなくても、きっと丁寧に使ってくれる。
 だけど今、あの部屋ではノラが寝ている。ノラのことを知ったら、きっとみんなよくしてくれるだろう。でも、寝ているあいだにだれかが部屋に入ってくるなんて、起きたら知らない人たちがいるなんて、ノラはびっくりするだろう。
「悪いけど、今はダメなんだ」
 断られるかもと思ってはいたようで、女の子たちは残念そうに眉尻を下げてほほ笑んだ。だけど続けて事情を説明すると、女の子たちは目をまん丸に見開いてリックを見つめた。
 そして口々に、シーフィシュ国の調査隊を批判する。
「仲間を置き去りにするなんて、本当にとんでもない人たちね! そりゃあマモノだって見限るわ」
 ケイシーが言う。
「わたし、考えたの。きっとマモノは、心がけの正しい人を好きになるのよ。エドワード卿みたいにね! でもあの調査隊の人たちはいけないことをしたから、だからマモノに嫌われたんだわ」
 そうかもな、とリックは思った。エドワード卿にはついていきたいし、シーフィシュ国の調査隊の人たちは嫌いだ。だけど素直にうなずけない気持ちもあった。
「心がけが正しくてもマモノ使いにならない人はたくさんいるよ」
「それは、そうね」
「それにぼく、自分が正しい人だとは思えないよ」
 悪いこともするもの。昨夜犯したルール違反を思い起こして、肩をすぼめる。女の子たちはどう答えたらいいかわからずに口をつぐんで、なにも言わなかった。
 しょげている暇はない。
「そうだ、それで、服を貸してほしいんだ。背はぼくより少し小さいくらいなんだけど、あるかな」
「それだと、貸せるのはわたしくらいね」
 オリーブが答えた。
 九歳のケイシーはノラよりずいぶん小さい。十歳のドリーはもうすこし大きいけれどまだ足りない。反対に、十四歳のオリーブはリックよりも背が高い。小さいよりはいいけれど、大きすぎるなあと考えていたら、オリーブは笑って続けた。
「小さくなってもう着られなくなった服があると思う。お母さんに訊いてみるね」
「ありがとう、あとで行くよ」
 手を振りながら三人と別れ、リックは早足でエノおばさんの家を目指した。
 エノおばさんは鶏小屋の前の長椅子に腰掛け、こっくりこっくりと船をこいでいた。太陽の暖かい日差し、そよそよと涼しい風。昨夜は寝ていたところを起こしてしまった、眠たいのだろう。鶏の世話のしかたは覚えている。リックはエノおばさんを起こさないよう、静かに作業した。
 エノおばさんが起きたのは、暖かさより風の冷たさが勝ったころだった。風邪を引いてはいけないと、リックが声をかけたのだ。おばさんは目をこすりながら起き、リックが鶏舎の掃除をしてくれたと知ると、大喜びした。そしてノラのことを報せると、また喜んだ。
「わたしの卵がよかったんだ。きっとそうだ。ほら、また持ってお行き」
「ありがとう」
 小ぶりの卵を三つ。触るとほんのり温かい。落としたらいけない、かごを借りた。
「ところで、どうしてあんた、あの子を見つけられたんだい」
 ギクリとした。深夜に森へ入ったいきさつを、エノおばさんには教えていなかった。怒られるに決まっている、だけど嘘はよくない。リックは正直に話した。エノおばさんは口をあんぐりと開け、それから大笑いした。
 笑われるなんて思わなかったから、リックはびっくりして目をパチパチさせた。
「あんたが、ルールを破るなんてね!」
 笑いすぎて、息も絶え絶えに言う。そんなにおかしいだろうか、首をかしげていると、エノおばさんは目尻の涙を拭いながら続ける。
「本当は叱らなきゃいけないんだろうけれどね。でもね、だれだって一度や二度、ルールを破ることはあるものさ。マモノのためかい、そりゃああんた、偉かったよ。もちろん、ルールを破る前に前に大人に――おじいさんに相談したら、それが一番よかったけれどね」
「次はそうするよ――ううん、もう二度と、マモノたちを忘れたりしない」
「うん、そうだね。それにしても、けがの功名ってやつだね。あの子は、ノラは運がよかった」
 エノおばさんが頭をなでてくれて、リックは元気が出た。ルールは大事だけど、だれかのために、やむを得ず破ってしまうこともある。ノラ――惑星調査隊のほうのノラが、白い星で規則違反をしたとき、ほとんどの人がノラを褒め称えた。
 だけど、リックは知っている。褒めそやされて調子に乗ったノラが、ずっと夜の星でした大失敗を。悪いことをしたこと、それがいい結果を生んだことは、偶然でしかない。もしかしたら反対に、もっと悪いことになっていたかもしれない。戒めを忘れてはいけない。
「いいことをすると気持ちがいいね」
 エノおばさんに見送られて、リックは鶏小屋をあとにした。


 いったん帰り、もらった卵をおじいさんに預けて、リックは再び家を出た。服を貸してもらいに行かなくちゃ。
 オリーブの家を訪ねると、ケイシーとドリーもいて、オリーブのお母さんが出してくれた服を選んでいた。
「この緑のワンピース、とてもすてきだと思っていたのよ」
「この白いブラウスはフリルが上品ね。だけど着ているのをあまり見たことがないわ」
「とっておきだったの。なのに、大事にしまっているうちに着られなくなっちゃって。着てもらえたらうれしいな」
「サイズが合うといいけれど、実際に着てもらわないとわからないわ。ねえリック、今からお宅へうかがってもいい?」
「もちろん、よろしくお願いします」
 オリーブのお母さんに言われて、リックはすぐさまうなずいた。ノラもきっと起きているだろう。手分けして服を抱え、みんなでリックの家へ向かった。
 家ではおじいさんが夕食の支度をしていた。ノラのことを尋ねると、部屋にいるけど起きているよ、と教えてくれた。そしておじいさんを先頭に、リック、女の子たち、オリーブのお母さんの六人で、ノラのいる部屋を訪ねた。
「ノラ、入るよ」
 ノックをし、声をかけてドアを開ける。
 日が沈み、あんなにまぶしかった窓はすっかりおとなしくなっていた。代わりに電灯が優しい光を落としている。その光を頼りに、ノラはベッドの上で、熱心に本を読んでいた。
 その本に気づいて、リックはうれしくなった。リックが翻訳しようとしている、あの本だ。お母さんが好きだったお話の続きだ、ノラもこの本が好きなのかな。
 六人が部屋に入ると、ノラは本を閉じ、おどおどと会釈をした。安心して、きみの服を貸してもらったんだよと伝えたいけれど、言えない。リックは辞書を引いて、ノートに、友だち、服、借りる、と書いた。
 オリーブのお母さんがノラに手招きする。
「ベッドから起きてもらえるかしら。そう、これくらいね。よかった、さっきのブラウスがちょうど着られそうよ」
 言いながらテキパキと服を仕分けていく。そのあいだ、女の子たちはしきりにノラに話しかけた。もちろん言葉が通じないから、大げさに身振り手振りを交え、名前を教えたり、握手したりした。
 ノラの顔をうかがい見る。はにかみながらも楽しそうだ。こっそり安堵した。
 ブラウスを三枚、スカートを二枚、ワンピースを二枚、カーディガンを三枚。それから寝間着を二組、貸してもらえることになった。
「さっそく着替えてもらいましょう。おじいさんとリックは、部屋の外で待っていてね」
「うん。よろしくお願いします」
 ノラを任せて部屋を出る。おじいさんは夕飯作りの続きのために台所へ、リックは自分の部屋へ向かった。マモノにエサをあげなくちゃと思ったのだ。
 寝床を開け、ごはんだよと呼ぶ。マモノがわらわらと出てきて、なぜだか増えてしまったことを思い出した。
「どうしてぼくについて来ちゃったのかなあ。少しずつだよ」
 手のひらを差し出す。マモノたちが群がり、遠慮がちに食事をする。見たところあんまり満足はしていないみたいだ。だけどリックはあっというまに疲れ切ってしまった。
「こんなに多いと大変だなあ。ごはんを食べて、少し休んだら、またあげるからね」
 物足りないながらもマモノたちが食事を終えたころ、ケイシーが呼びに来た。ノラの着替えが終わったという。
「あら、マモノがずいぶん増えたのね」
「そうなんだ。ノラのマモノたちが、ぼくについてきちゃったんだ」
 昼間の会話を思い出す。マモノは、だれについていくかをどうやって決めているんだろう。まったくふしぎでしかたがない。
 ところがノラの部屋へ戻ったとき、またも予想外のことが起きた。
 今日はもう出かけないだろうからと、ノラはかわいい花柄の寝間着を着て、その上に白いカーディガンを羽織っていた。気に入ったのかニコニコしていて、リックも笑顔になった。
 そのときだ。
「あっ!」
 マモノたちが、ノラめがけて駆けだした! 女の子たちは慌てて飛び退き、オリーブのお母さんは小さな悲鳴を上げた。ノラはあっというまにマモノに囲まれて、呆然と立ち尽くしているように見えた。
「ダメだ、ダメだよ、戻っておいで!」
 リックが声をかけるも、マモノは従わない。どうして言うことを聞かないんだろう? 焦るリックをよそに、しかしノラは落ち着いたようすで、しゃがみ込んでマモノたちに手を伸べた。
 そして、なにか言った。マモノたちは順にリックのところへ戻ってくる。なんだか満足そうだ。
「マモノに食事をさせてくれたの? ありがとう」
 言いながら、リックは首をかしげた。マモノは自分の従うマモノ使い以外からエサを得ることはないと聞いていた。このマモノたちはやはりノラのマモノなのだろうか? けれどリックのマモノもノラからエサをもらったし、ノラのマモノも、食事を終えるとみんなリックのところへ来た。
 ふしぎそうにするリックに、ノラはどうやら察したらしい。鉛筆を取り、ノートにメッセージを書く。ノラがなにか伝えようとしている! リックは急いで辞書を引いた。
 ギョッとした。たぶん、こうだ。
「わたしはマモノのエサです」
まえがき・ 八・ 十一十二十三十四・ 次回は四月十二日更新予定
page top⤴  このエントリーをはてなブックマークに追加