リックとマモノのエサのノラ
一 シド島のリックファム群島には三つの国がある。一番大きなファム本島の三分の一はシーフィシュ国、残りの三分の一と、三番目と四番目に大きな島はタキクク国。二番目に大きなスティブ島はカウミル国だ。この三つの国は仲が悪くて、いつもけんかばかりしている。
一番小さく、ほかの四つの島からぽつんと離れたところに浮かぶシド島は、どこの国でもない。島には村が一つだけあって、人口は一〇〇人くらい、田畑はぜんぶ合わせて一ヘクタールくらい、家畜はブタが三頭と牛が五頭、鶏が十羽。住民と家畜を合わせた数より野生の動物のほうが多く、村の面積よりも、山や森のほうがずっと広い。つまり、まだまだ未開の土地というわけだ。
リックはスティブ島で産まれた。シド島にはお母さんといっしょに、七歳のときに渡ってきた。
お父さんのことは少ししか覚えていない。おじいさん、つまりお母さんのお父さんが言うには、リックが五歳のときに三国間で戦争が始まり、リックのお父さんも兵隊に取られてしまったのだそうだ。悲しいことに、戦地で行方不明になってしまって、帰ってこなかった。悲しみのあまりお母さんは病気にかかってしまい、しかたなしにお母さんの生まれ故郷、シド島に帰ってきたというわけだ。
リックのお母さんは翻訳家だった。外国の言葉で書かれた本を、この国の言葉で書き直す仕事だ。スティブ島にいたころは毎日のように本が届いて、お母さんは丁寧に読んでは、せっせと筆を走らせた。その横で、翻訳したての本を読むのが、リックは大好きだった。
シド島に戻ってきてからも、リックは本を読み続けた。お母さんは仕事ができなくなってしまったけれど、本は山ほど持ってきたし、ときどきスティブ島から新しい本が届いたので、リックは退屈しなかった。おじいさんとお母さんとリックの三人で、慎ましく、だけど楽しく暮らしていた。
十歳のときにお母さんが亡くなった。もちろんとても悲しかったし、悲しいことに慣れると次には寂しくなったけれど、お母さんの翻訳した本を読むと、お母さんがそばにいるような気がして、元気が出た。お母さんの本はリックの宝物になった。
晴れた日はおじいさんと畑仕事、雨の日は読書。そんなふうに暮らしていたある日、手のひらくらいの大きさのマモノが、自分のそばにいることに気がついた。びっくりして逃げてもついてくる、あっちへ行けと言うとそのときはどこかへ行くけれど、やがて戻ってきてしまう。
やがてリックは理解した。ぼくはマモノ使いなのだ、と。
だけどリックは喜ばなかった。それというのも、シド島では、マモノは悪者なのだ。一ヶ月か二ヶ月に一度、ふらりと現れては、人を脅かし、畑を荒らし、柵を壊して家畜を逃がしたこともあるという。だけど村にはマモノ使いがいない、村人たちが追い払おうとしても、捕まえようとしても、いつも徒労に終わった。
便宜上、この悪いマモノを『森のマモノ』と呼ぶことにする。
村でひとしきり暴れた森のマモノは、森や山へ帰っていく。シド島はほかの島から離れているし、どこの国でもないから、なにかの事情で自分の国にいられなくなった人がこっそり渡ってくることがある。そのなかにマモノ使いがいて、森に隠れ住んでいるんだろう、食べるものに困って、マモノを使って村から盗んでいくんだろう、と、村人たちは考えていた。悔しいけれど、マモノ使い本人が出てくるならともかく、マモノ相手では、村人たちになすすべはなかった。
マモノは邪魔者、厄介者。見かけたらすぐに逃げなさい、村の子どもはそう言いつけられていた。マモノ使いになったなんて知られたらみんなに怖がられる、もしかしたら森のマモノのことも自分のせいだと言われるかもしれない。おじいさんは、大丈夫だよ、みんなわかってくれるよと慰めたけれど、リックは不安で不安でしかたがなかった。
結論を言うと、リックの予想も、おじいさんの言うことも、半分ずつ当たった。
森のマモノが現れると、リックが呼ばれるようになった。森のマモノは森のマモノ使いのものだからリックには懐かない、仲間にしてやめさせることはできない。だけどリックに懐いたマモノはマモノを退治できる。リックはたちまち、村の英雄になった。
しかし心ない人たちは、最初からリックがけしかけたんじゃないか、自作自演じゃないかと言った。なぜそんな意地悪を言うかというと、これは推測なのだけど、もともとリックやリックのお母さんのことが嫌いだったんじゃないかと思う。病気で働けないお母さんを怠け者と言ったり、お母さんを亡くしてもすぐに立ち直ったリックを、薄情者とさげすむ人も少なくなかった。なんでそんなふうに言うのだろうと、リックは悲しくなった。
おじいさんはこう教えてくれた。
「心根の貧しい人は、『かわいそう』が大好きなんだよ。だって『かわいそう』だったら、周りの人が『かわいそう』と言ってくれるからね」
「たしかにみんな優しくしてくれた、だからぼくは元気になれた。感謝こそすれ、困らせたくなんかない。わざとマモノを放ったりなんかするもんか」
「もちろんみんなわかっているさ、陰口を叩いている連中もね。リックがそんなことをするはずないなんて、本当はわかっているけど、言わずにはいられないのさ」
わかっているのにどうして嘘をつくんだろう? どうにも腑に落ちない。だけどなんとなく、『かわいそう』が好きな人は『かわいそう』だな、と思った。
「ぼく、『かわいそう』にはなりたくないよ」
「うん、それがいい。それがいいよ」
おじいさんはニッコリ笑って、大きな温かい手でリックの頭をなでた。リックはそれが、なんだかとてもうれしかった。
それにしてもシド島には、『かわいそう』が好きな人が多い。なかでも卵屋のエノおばさんはとびきり『かわいそう』が好きだった。
リックが卵を買いに行くと、いつも意地悪を言った。
「あんたもいつか戦争に行って、お父さんみたいになっちまうんだろう。せいぜい今のうちにたっぷり遊んでおきな」
「おじいさんは、ぼくはもうシド島の子だから、戦争には行かなくていいって言ってた」
「フン。国っていうのは、いつだって手駒を欲しているのさ。戦争なんかしていたらいくら人手があったって足りないよ、あんたはどうも優秀なマモノ使いみたいだからね、きっと連れて行かれるよ」
かわいそうにね、と口では言うけど、目はにやにやと笑っている。優秀なマモノ使いというのも嫌味だ、ほかの人には、村を荒らすマモノ使いがリックでないなら、犯人を捕まえてみせろと言われたことがある。リックにはそれができなかった。
本当はエノおばさんなんか顔も見たくないけれど、ほかでは卵を買えないから、しかたがない。卵はおいしいのに、残念な気持ちになった。
ところがリックが十二歳になったときに、三国の戦争がどうやら終わった。そもそもどうして、なにを争っていたのかわからないけれど、リックは胸をなで下ろした。おじいさんの言うことを疑っていたわけではないけれど、リックはもともとカウミル国の生まれだ。エノおばさんの言うことも、まったく否定はできないと心配だったのだ。
エノおばさんはつまらなそうに、よかったね、と言った。最初は、心底いやな人だなあと思っていたけれど、だんだん、おかしいなと思うようになった。毎日意地悪を言ってはにやにやくすくす笑っていたエノおばさんが、すっかり無口になって、今にも泣き出しそうにうつむいていることに気づいたからだ。
実のところ、意地悪ばかりを言うものだから、エノおばさんは村のだれからも嫌われていた。卵を買えないと困るから多少はおしゃべりするし、いやなことも我慢するけれど、仲良くなりたいと思う人は一人もいない。黙々と仕事をするようになったエノおばさんを、おとなしくなってよかったと言う人はいても、心配する人はいなかった。
リックだけは違った。リックは、エノおばさんがお母さんと同じ病気なんじゃないかと思った。エノおばさんのことは嫌いだけど、死んでしまったらきっと悲しい。
リックは暇を見つけてはエノおばさんのところへ手伝いに行くようになった。エノおばさんは一人で鶏たちの世話をしている。もし病気なら大変だろうと思ったのだ。
初めは遠慮していたエノおばさんだったけれど、やっぱり辛かったようだ。元気になるまでの約束で、鶏小屋の掃除はリックの仕事になった。わからないことはエノおばさんが丁寧に教えてくれた。
人には意地悪ばかり言うエノおばさんだけど、鶏にはとても優しかった。十羽もいるのに、それぞれのようすをよく観察していて、具合が悪いとすぐに気がついた。
鶏はなんでもよく食べる。エサにはとうもろこしや米、麦、野菜のほかに、なんと砕いた貝殻まで混ぜた。こんなものを食べて大丈夫なのと質問すると、食べさせないと卵を生めない、貝殻を食べると卵の殻が丈夫になるんだよ、と教えてくれた。
おもしろいなと思ったのは、鶏のフンはとても重要だということ。フンを見れば鶏の体調はだいたいわかるという。それによく乾かしたフンを畑にまくといい肥料になるんだそうだ。フンは大きな麻袋に詰めて畑仕事をしている人に譲っている。これを運ぶのにマモノはとても役に立ち、エノおばさんはびっくり喜んだ。
リックが通ううちにエノおばさんは元気を取り戻していった。ついにすっかり回復したとき、エノおばさんは小さなかごいっぱいに卵を詰めて、リックにくれた。
「今までありがとうね。これはお礼だよ」
「いらないよ。ぼくはおばさんが元気になったら、それでいいんだ」
「それじゃあわたしの気が済まないよ、あんたにはずいぶんひどいことを言ったのに、こんなによくしてもらったんだもの。おじいさんと二人でお食べ」
「わかった、ありがとう」
リックがやっと受け取ると、エノおばさんは笑った。以前のようなにやにや笑いではなく、本当に楽しそうな、ニコニコ笑いだ。こういう笑顔のほうがいいな、とリックもうれしくなった。
でもすぐ、エノおばさんの顔が曇った。そして優しくリックの頭をなで、昔ね、と話し出した。
「わたしには恋人がいたのよ。マモノ使いで、才能に恵まれた人でね。戦争がいやでシド島に逃げてきたのだけど、国の人に見つかって、連れて行かれてしまったのよ――最初は言葉もわからなかったけど、いっぱいおしゃべりしたらだんだんわかるようになったわ、そうして仲良くなって、三年もいっしょに暮らしたわ、結婚しましょうって約束もしたわ、だけどあの人、無理やりに連れて行かれてしまった。
あんたのまなざしはあの人によく似ている。マモノはこういう、まっすぐな目が好きなのかしらね。あんたを見るたび、あの人はどうしてるかな、いつ帰ってくるかなって思ってしまって、悲しくて寂しくて、つい意地悪を言ってしまった。
本当はまたどこかに隠れていて、戦争が終わったらひょっこり帰ってくるんじゃないかと期待もしたけど――終戦の報せも届かない場所に行ってしまったんだわ、あの人は」
最後のほうはリックに話すというよりも、自分に言い聞かせているようだった。エプロンの裾を目に押し当て、鼻をすする。リックはどうしていいかわからなくて、じっと、エノおばさんを見つめた。
エノおばさんは『かわいそう』が好きなんじゃなくて、『かわいそう』な人だったんだな、と思った。そして『かわいそう』が好きだから『かわいそう』な人と、本当に『かわいそう』な人は違うんだな、とも思った。
「ごめんね、ありがとう。さあ、おうちへお帰りなさい」
エノおばさんはまた、ニッコリとほほ笑んだ。
それ以来、エノおばさんはだれにでも優しくなった。もともとおしゃべり好きで人なつこい人だから、エノおばさんのことを好きになる人が一人二人とできて、どんどん増えていった。半年も経つと、毎日だれかしら、エノおばさんの家を訪ねるようになった。
それでもときどき恋人のことを思い出すのか、寂しそうに遠くを見ていることがある。いつかエノおばさんの恋人にも、戦争が終わったことが伝わって、シド島に帰ってきますように、とリックは願った。