HOMENOVEL>リックとマモノのエサのノラ

リックとマモノのエサのノラ

   六 夜の島

 明日迎えに行けばいいかなともちらりと考えたけれど、森のマモノと戦ったのだ、とても疲れているに違いない、明日まで待っていたら死んでしまうかもしれない。
 日没後に森へ入ることは村のルールで禁止されている。大人、とりわけおじいさんに見つかったら大目玉は間違いないけれど、マモノのことを考えたら心配で、夕ご飯の味もわからなくなり、ベッドに入っても寝つけなくなり、いてもたってもいられなくって、結局、リックは真夜中にこっそりと家を出た。
 夜は獣の時間だ。ホウホウとフクロウが鳴き、オオカミだろうか、遠吠えが聞こえる。空は晴れているけれど木々が邪魔をする、森の道は真っ暗だ。リックはたいまつを持ち出して、行き先を照らした。
 一人では心細い。かといって、リックもマモノも、今日はとびきり動き回ってくたくただ。マモノを引き連れて歩かせたら、きっと明日はベッドから出られない。考えた末、ダブルとトリプルを五匹ずつ出して、肩や頭に乗せて歩くことにした。
 それでもまだまだ怖い。楽しくなるように考えよう、そう、たとえば惑星調査隊員になったつもりで。これは任務だ! リックは、ノラの二つ目の冒険を思い出した。
 ずっと夜の星だ。
 ずっと夜の星は、その名のとおり、ずっと夜だ。朝もない、昼もない、夕方もない。つまり太陽がない。その代わりに月が三つあって、順番に満ち欠けしながら、夜の大地を優しく照らしている。
 白い星では大活躍だったノラだけど、惑星管理センターからは厳しく叱責された。無事に全員帰還できたからよかったものの、一歩間違えれば大損失、命令違反は決して誉められたことではない。とうぶんは新しい星ではなく、すでに安全を確認できた星の精密調査を担当することになった。
 なにを調べるかというと、星の正確な大きさから始まり、海と陸地の割合と成分、動植物などの生態系、文明の有無。それから恒星との関係や衛星の数、惑星軌道および周期に自転速度。小難しい言葉がずらずらと並び、リックは読んでいるだけでいやになった。しかもどの調査も時間がかかる、もしかしたら何年もジャラッシー星へ帰れないかもしれない。
 だのにノラときたら、こうだ。
「なんてすてきな任務だろう、探検しほうだいだ!」
 ノラは自由時間になるたび、ずっと夜の星を歩き回る。そして美しいものをたくさん見た。夜なんて真っ暗でなにも見えないと思っていたけれど、そうじゃなかったんだ。
 暗闇のなか、か細い光を揺らして飛び回る虫、妖しく灯る白い花、月の光を返す水面。山も、丘も、海も、キラキラと輝く。星空の上を歩いているみたいだ! ノラは感激で胸がいっぱいになった。本当はルール違反なのだけど、調査艇が見えなくなるまで離れると、いっそうすてきだった。
 だけど、美しいばかりじゃない。ある夜――といってもこの星はずっと夜なのだけど――散歩の途中、とある小川にたどり着いたノラは、ちょうどのどが乾いたと、水を飲もうとした。ここの水は調査済みで、飲んでも安全だとわかっている。注意なんて少しもしていなかった。
 それがいけなかった。水面に顔を伸ばしたとたん、小川の底から大きな魚がとつぜん現れ、大きな口でバクリとノラをひと飲みにした。


 暗がりに目が慣れてくると、重なる葉をすり抜けて差しこむ月光がまぶしく見えた。ときおりぽっかり見える空は安心をくれる。森はいつでも涼しいけれど、夜はいっそ肌寒い、怖さも相まって、少し小走りになるくらいが体も温まってちょうどいい。夜風に揺れる葉はおいでおいでをしている、リックは奥へ奥へと進んでいった。
 トビの鳴き声。昼も起きて夜も起きてるなんて、いつ寝ているんだろう?
 森はおしまい、ここからは山。無人の小屋を通り過ぎ、やがて湧水にたどり着く。昼はここから山の頂上へ向かったけれど、リックがマモノとはぐれた場所へは反対の方向へ行ったほうが近道だ。大人たちもあまり通らないのだろう、頂上へ向かうほうへは踏み固められた道ができているのに、こちらは草がぼうぼうだ。危ない気がする、だけどリックは焦っていた、一刻も早くマモノを回収して、温かいベッドに戻りたかった。
 結論から言うと、これはよくない選択だった。
 坂を少し登ると、よるべなくたたずむマモノたちがいた。リックのシングルだ。すっかり疲れ切っているようだ、リックは駆け寄ると優しく抱き上げて、ごめんね、と言った。
「ごはんをあげなくちゃね。でもぼく、今はあんまり元気じゃないんだ。だから少しずつだよ」
 言い聞かせながら手を伸べる。その実、元気をあげるなんて、どうすればいいかわからない。リックはなんとなく手を出し、マモノは受け取るように口をパクパクモグモグさせるけれど、これでいいのだろうかといつも疑問だ。エドワード卿に聞いておくんだった。
 とにかく任務完了、シングルを無事に保護した。ペン入れだった箱がずっしりと重くなる。次なる任務は、みんなに、おじいさんに気づかれないうちに家のベッドに戻ること。元気をあげて一段と疲れたリックだけど、休んでなんかいられない。来た道を戻ろう。
「えっ?」
 しかしくるりときびすを返したとたん、リックは愕然とした。とつぜん森が姿を変えたような、知らない場所になってしまったような、そんなふうに見えた。
 月が雲に隠れてしまったらしい。吹き消したように光が途絶え、あれだけ手招きしていた葉や枝は知らん顔をしている。木々のあいだを飛び回る獣の影、大きな鳥がはばたく音。あれは何者だろう、暗がりのなかぎらりと光る目、目、目。リックを狙っているのだろうか? 恐怖で身がすくむ。
 白い星から帰ってきたノラに、惑星管理センターの官長が言った言葉を思い出す。
「ルールというものは理由があって作られている。今回はたまたまうまくいったけれど、もしかしたらきみまで命を落としていた可能性もある。
 きみの言うとおりさ、調査艇は技術とお金があればまた造れるし、失われた命は取り戻せない。きみにはあのルールが、調査隊五人の命と調査艇を天秤にかけたもののように思えたかもしれないね。管理官の言いかたも少し悪かったかな、勘違いさせてしまったなら申し訳ない。
 だけどきみは、その天秤に、きみ自身の命をかけることを忘れているよ。いいかい、両方の皿に命を乗せた天秤は、決してどちらにも傾かない。片方が一で、反対が五でも、片方が十で、反対が百でも、必ず同じ重さだ。今回はたまたま、一のほうに調査艇があっただけさ。調査艇がなくては隊員は帰れない、つまり調査艇こそ命綱なんだ、だから当然守らなくてはいけない。
 いいかい、きみたち惑星調査隊の最大の使命は、無事にジャラッシー星へ帰ることなんだよ。たとえ自分一人になろうとも、命ある限り、きみは必ず、母なる星を目指さなくてはならない。それができて初めて、きみは立派な調査隊員になれるんだよ」
 長い長いお説教に、ノラはこっそり、二つもあくびをした。ノラのおかげで六人ともジャラッシーに帰ってこられたんだもの、お説教される筋合いなんかない、とへそを曲げていたのだ。
 フーゴ隊長をはじめ五人の調査隊員たちからは感謝されて鼻高々、ほかの調査隊からも勇敢な新人と褒めそやされ、ノラは有頂天だった。ノラのことは好きだけど、これはよくない、とリックは思っていた。そうしたら案の定、ノラは手痛いしっぺ返しを食らってしまった。
 リックは今夜、ノラと同じ過ちをした。村のルールを犯して夜の森に一人で入り、獣に囲まれている。無事に村へ、家へ帰れるだろうか。歯の根が合わない、涙が出そうだ、ノラのことを愚かだなんてもう言えない、心臓がぎゅううと痛む。
 ともかく進もう。よく目をこらし、今来た道を探る。いいや、道なんか初めからなかった。踏みつけて横倒しになった草がかろうじてわかるくらいで、しかしそれも、風に吹かれてすぐに元通りになってしまった。
 一度山の頂上へ出よう。遠回りになるけれど道が見つかるはずだ。
 傾斜を登る。だけどこれも一筋縄ではいかない、なにしろ明かりがない、言ってしまえば一面影のなかに、草木が潜んでいるのだ。足を下ろした先が果たして頑丈な土とは限らない、ときどきは砂だまりに足を取られ、滑り落ちそうにもなった。思えば昼にだって、リックはこの斜面を転げ落ちるところだった。夜はもっと危険だ。
 ずっと夜の星ってこんなふうなのかな。こんな星をすてきだと言って歩き回ったノラは、うかつではあったけれどたしかに勇敢だ、とリックは改めて思った。
 ようやく頂上に出る。ちょうど雲が切れて、また月が顔を出した。手足を見るとどろどろだ、これじゃあ無事に帰れてもおじいさんにはばれてしまうに違いない。ルールを破った罰だ、甘んじて受け入れよう。リックはトホホとうなだれた。
 暗い以外は昼に来たときと同じだ、ホッと安堵した――のもつかの間、トビがピーピピピと甲高い声で鳴いて、リックを驚かした。慌てて見やると、数羽のトビが木の枝に止まり、こちらを凝視している。リックが一歩踏むとまたけたたましく鳴く。威嚇しているようだ。
 思わず後ずさる。しかし戻れない、戻るわけにはいかない。ぎゅっと拳を握って、自分に言い聞かせるように、大きな声で言った。
「ノラなんか、ほとんどぜんぜん知らない星で、巨大な魚に飲みこまれたんだ。それにくらべてぼくはどうだ、慣れ親しんだ島で、けがもしていない、トビに襲われてもいない、なにを恐れることがある?
 情けないぞ、意気地がないぞ。ええい、勇気を振り絞れ!」
 ゆっくり、土を踏みしめるように、リックは敵意のなかを進む。あと少し、あと数メートルで、歩きやすい山道になる。ぎらぎらと光る鋭いまなざしは心臓さえも貫きそうだ。足を止めてはいけない、その瞬間、きっとぼくは射止められるだろう。
 あと五歩。あと四歩。あと三歩、最後の二歩は走り抜けよう! そう思ったとき、リックは立ち止まった。立ち止まらなくてはいけなかった。
 マモノがいる。それも、たくさん。
 マモノ使いがいるのか? 森のマモノ使いは捕まえた。ほかにもいたってこと? 森のマモノ使いはブタだった、もしかしてこのトビのどれかがマモノ使いということもあり得る。リックはとっさにマモノの寝床を開け、シングルを出した。


 調査艇からは見えない小川で、助けてと叫ぶまもなく、ノラは魚に食べられてしまった。胃袋のなかは真っ暗で、一つの光もない。なんとか出ようと手足をバタバタさせたけど魚は意に介さず、再び川の底へもぐろうと、体を大きく振った。
 さすがのノラも怖くなった。調査隊の仲間はノラのピンチを知るよしもない、もしノラがいないことに気づいていたとしても、調査艇からここは見えないからきっと見つけてもらえない。
 ルールを破った罰だ。ノラは泣き出してしまった。わたしはバカだった、管理官はわたしを助けようとしてくれたのに、官長はルールの本当の意味を教えてくれたのに、ちっとも理解しようとしなかった。死ぬ間際になって反省するなんて遅すぎる、だけどもしもジャラッシー星へ帰ることができたら、きちんと謝ろう。そして今度こそ、立派な調査隊員になろう。
 そのとき、ノラにとっては奇跡が起こる。とつぜん魚が激しくもがいたかと思うと、ぐわんと宙を舞った。魚が抵抗しているのがわかる、ノラは大地震のまっただ中、あちこちに頭をぶつけた。
 次に、下から強い衝撃を受けた。地面に落ちたようだ。魚はずいぶん弱ってしまって、しばらくは身もだえしていたけれど、やがてぴくりとも動かなくなった。
 なにが起こったのだろうと首をかしげていると、とつぜん冷たい風が吹きこんできて、顔を上げると満天の星空が見えた。だれかが魚のお腹を切り開いたのだ。
「おーい、大丈夫かー?」
 夜の星の住人たちだ。そのうしろに、ミケ隊長の姿も見えた。
 ノラは助かったのだ。
まえがき・ 六・ 十一十二十三十四・ 次回は四月十二日更新予定
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