天使のいた屋上
九祝日の関係で、三日間の連休があった。カワシロさんにメールをしようかどうか悩んで、どんな文章を送ったらいいかも思いつかなくて、結局やめた。とことんぼくは情けない。
休みが明けて、火曜は弁当持参の短縮授業。こっそり保健室や屋上、万が一と思って彼女のクラスも見に行ったけれど、やっぱりいなかった。そのあいだもぼくは常に後ろ指をさされ続ける。カシたちとはメールのやり取りをしてはいたものの、学校では話さないようにした。サエジリたちはいつものように教室の後方で群れて騒いでいたけれど、火曜のロングホームルームでクガちゃんとの二者面談を終えたあとは、不気味なくらいに静まっていた。
内容は想像できる。でも、だからってぼくをにらみつけても、事態は変わらない。
教師のいないロングホームルームは騒がしかった。携帯電話をいじってもだれも文句を言わない。メールの相手がすぐそこにいるカシとはだれも思うまい、なんともおかしな図だ。
送信し、返事があるまでは生徒会サイトにアクセスする。パスワードは変えられていて、生徒会新聞で告知されたらしい。イイサキが教えてくれた。掲示板やブログのコメントの受付は、変わらず停止されたままだ。
会長のブログを見る。クリスマスパーティーについて触れられている。吹奏楽部や演劇部の公演を含んでいるため、パーティーだけは開催することになったが、写メコンは中止された。
『カワシロちゃん、張り切ってたのにね』
カシからそうメールが来て、そうだね、と返す。彼女はどんな写真を応募するつもりだったのだろう。見たかった。
『明日はカワシロちゃん、来るのかなあ。ヤジマくんはパーティー行くの?』
問われて、そういえば明日が二十五日なのだと気づく。クリスマスまで学校なんてウザイよねー、なんて話す女子の声が窓際から聞こえた。
二者面談は時間中には終わらず、出席番号の遅いぼくは掃除の時間に行うことになった。しかし、つい最近話し合ったばかりとあって、すぐに終わった。
「一般なら受けられるし、入学後も入部テストがあるらしいから、がんばって。ね」
クガちゃんの眉間から、心配してますオーラが漂ってくる。もちろんがんばるさ。でも自信がなくて、あいまいにうなずいた。
翌日、終業式。長い式のあと、教室では成績表が返され、大掃除が行われる。パーティーは一時からで、けど三年生の多くは参加しない。どんなにのん気にしていても受験生なので、余興を楽しむのはためらわれるのだろう。その実、ちゃんと勉強してるか否かは別として。
参加する生徒は教室に残り、弁当を食べる。カシたちも残っていた。ぼくは参加するつもりなどなかったから弁当なんて持ってなかったけど、すぐ帰ることもできないでいた。やることもないので保健室前の植え込みへ行く。天気がよかった。
鳥の鳴き声が爽やかだった。保健室にはクロ先生がいるようだけど、カーテンが閉められていて、ようすを伺うことはできなかった。
鞄をかたわらに、腰かける。コンクリートの地面は冷たい。
カワシロさん――来るのだろうか。
写メコンも中止になったことだし、来ないんじゃないだろうか。不安がよぎる。もし今日会えなかったら、次は年明けだ。それはいやだな。
いやというか。
日溜りの暖かさにうとうとしていると、携帯が鳴った。メールだ、カシからだった。
『もうすぐ始まるよ。先に行ってるね』
適当に返事をして、また横になる。画面の時計を見ると、十二時五十四分だった。正直、吹奏楽部の演奏も、演劇部の芝居も、興味はない。
今日なら、カワシロさんが来るんじゃないかと思ったんだ。
「もう諦めたのかな」
独り言つ。細い糸で携帯にくくりつけたウッドビーズが、カチカチと本体を叩いた。
最後の一個。南中を過ぎ、西に傾き始めた太陽にかざすと、ちょうど光を覆った。
傷がついている。縦線と、その中央から左斜め下に短く。カタカナの『ト』だ。
ビーズを握りしめてまぶたを閉じる。思い出す。排水溝から発見されたビーズに刻まれていた傷。あれは『キ』だった。
彼女は全部で七つあると言った。あんなに必死になって探していた。もしそうだとしたら、納得がいく。
大事なものだった。今日は二学期最後の日だから、きっとまた探しに来るだろうと思った。
体育館から吹奏楽部の演奏が聞こえてきた。陽気なクリスマスソング。歌声や歓声も混じっている。
十分ほど演奏が続いて、静かになった。マイクアナウンスがかすかに聞こえる。と、携帯が鳴った。メール。またカシからだ。内容から、これから演劇部の芝居が始まると知った。
芝居は三十分ほどで、そのあと二十分程度の歓談タイム。さらに有志による出しものなどがあるらしい。ビンゴゲームも用意されていて、写メコンの賞品だった図書カードも景品に回されるらしいよ、と、このあいだ聞いた。
でも、な。
今やぼくは有名人だ。もちろん悪い意味で。きっと楽しめないに決まってる。生徒会長にも直に会ってしまったし、後ろ指はさされ放題だし。わかってるのにわざわざ胃を痛めに行くほど、ぼくもばかじゃない。
ため息をつく。おなかが減った。一時半ごろになって家から電話があった。半日のはずなのに帰らないので心配したらしい。
しかたない、帰ろうか。いや、でも。
電話、しようか。
自宅からの電話を切って、そのまま携帯を見つめる。かけようか。かけてみようか。メールでもいいんじゃないか? でも、なんて送る? 悩むな、口実があるじゃないか。口実? 違う、本題だ。ビーズ見つかったよ、って。
アドレス帳を開く。六番目に登録された、カワシロさんの電話番号。
指が震える。
かけよう。つばを飲む。
心臓がバクバクする。
手のひらに汗をかく。
飲んでも飲んでもつばが出る。
息ができなくて深呼吸して――突然鳴り出した携帯電話に驚いて、うっかり落としそうになった。
電話だ。名前も確認しないまま、慌てて出る。はい、という返事が上ずった。
『今どこ?』
――心臓が止まるかと思った。
『ハヤト?』
アルトなハスキーボイス。
びっくりして画面を確認する。カワシロさん。カワシロさんからの電話だった。
電話の声は響いて聞こえた。足音が聞こえる。カワシロさんの息が切れている。と、足音が止まって、ガチャンと、ここ数日で聞きなれた音がした。
『どこだよ』
声の反響が消えた。
「あ――あの、保健室の前」
答えながら立ち上がる。カワシロさん、‥‥ぼくを探してる?
「カワシロさん、学校にいるの?」
叫ぶように問いかける。大声で問いかけたら、電話越しじゃなくて、直接声が届くんじゃないかと思った。
『そっちか。‥‥いいや、上向いて』
「上?」
言われるがまま、見上げる。‥‥もしかして。
電話の奥から、ギシギシとなにかの軋む音がする。やがて、見上げた屋上の縁から――明るすぎる太陽の光に、彼女は輝いて見えた。
紺のプリーツスカート。グレーのセーラー服に白いリボン。首からは大きなカメラを提げていて、右手は耳に携帯電話を当てている。
『屋上かと思ったのに』
「ぼくは保健室だと思った」
『だれが?』
「カワシロさんが」
と、笑い声が聞こえた。
『電話してくれたらよかったのに』
‥‥だって。
「金曜も昨日も、来なかったから」
言うと、彼女はうなずいて、黙った。それから縁に座って、足を宙にぶらぶらとさせた。
『月命日だったから、金曜は』
月命日――言われて、はっとした。金曜は二十日だったっけ。
昨日はサボリだけどと、カワシロさんが笑う。部活の用事があって、街に行っていたのだという。
なんだ‥‥なんだ。
「今日は制服なんだね」
『ああ、おれ、カメラ係なんだ。ジャージじゃ雰囲気ぶち壊しだろ?』
「じゃあずっと会場にいたの?」
当たりまえだろという返事に、後悔が沸く。くそ、カシめ。それを教えてくれたらよかったのにと、心中で悪態をつく。
でもいいや。会えたから。
『そろそろ戻らなきゃ』
「待って、渡したいものがあるんだ」
再びフェンスを登り始めたカワシロさんに、慌てて呼びかける。聞こえただろうか。話しながらでは登ることはできないから、聞こえなかったかもしれない。
姿が見えなくなってから、また彼女の声。
『来い』
「――うん」
階段を下りる足音が聞こえる。追いかけるように、ぼくは校舎内へ戻った。靴を履き替え、渡り廊下を進んで――いや待て、ぼくのほうが早いんじゃなかろうか。
『先に行ってろ』
立ち止まると、まるで見ているかのようにカワシロさんが言う。振り返ったけれど姿は見えない。声が響いているから、まだ階段だろうか。
言われるがまま体育館へ向かう。がやがやと騒ぐ楽しそうな声が聞こえる。マイクアナウンスは――なんと言ってる?
重い鉄扉を開く。緑のシートの敷かれた館内に踏み入れる。
とたん、わあっと視線がこちらに向けられて、でも登場したのがぼくとわかると、しんと静まった。
なんだ?
見渡す。みんなが各々の携帯電話を見ていた。ざわざわとどよめく生徒たち。携帯電話とぼくを交互に見ている。
なにが起こってる? 事態が把握できなくて困惑していると、背後からどうと体を抱きしめられた。
シャンプーの香り‥‥じゃなくて、じゃなくて!
「――カワシロさん」
電話はいつのまにか切られていた。
「ほら、コレ」
カワシロさんが、ピンクなのにゴツイ携帯を差し出す。画面に――彼女の手ごと、それを掴む。
息を呑む。
『今回初の試みとなる写メコンは、不測の事態が発生したために中止になったはずでした。が、しかし!』
力の入ったアナウンスに、みんなの目が舞台上の生徒会長に向けられた。
『わたくしの独断と偏見で再開しちゃいました!』
テンションが高い。このあいだ生徒指導室でうつむいていた子とは別人のようだった。
『本日朝より開始した投票の結果、――‥‥』
「これ、グランプリだって」
カワシロさんがうれしそうに言う。
屋上。雨上がりの夕方。
白いシャツが風にはためく。
フェンスに残った雨露がきらきら光る。
空を覆う雲のところどころから、赤い光が幾筋も地上に注がれる。
向こうのビルのてっぺんからわずかに顔を出した太陽が、ぼくの影をどこまでも伸ばす。
自分で言うのもなんだけど、――「天使みたいだろ」
思ったことを言われて、驚いてカワシロさんの顔を振り返る。と、思った以上に顔が近くてまた驚いた。
「カワシロちゃん、壇上にって」
カシの呼びかけに、彼女は軽い足取りで進み出る。なぜかぼくも腕を引かれて。
みんなが一様にふしぎそうな顔をしていた。カワシロさんは気にするそぶりも見せずに、もらった賞状と図書カードをぼくに自慢する。
舞台上で。
「いいだろ」
ふふふ、とほほ笑む。女の子らしい、柔らかい笑顔。耳が熱くなるのを感じた。
だれかが口笛を吹いた。カシかイイサキか‥‥そのへんだ。とたんに全員がぼくらをはやし始めた。
恥ずかしい。でもカワシロさんが楽しそうだったので、うれしかった。
楽しそう。楽しそうだった。