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天使のいた屋上

   五

 二度目のダイブも中止に終わった。翌朝登校してからはまたいつもどおりで、大量の手紙をいただいて、机に花が飾られて、ぼくは胃を痛めた。
 いつもどおり‥‥の、はずだろ?
「ああ、おはよう、ヤジマくん」
 片づけを終えてようやく落ち着いて席に着いたとき、カシが登校してきて‥‥開口一番、ぼくの名を呼ぶ。クラスの全員が驚いて、一斉に彼を見た。
 次にぼく。いやいや、関係ない。関係ないから。
 なのにカシはおかまいなしに、ぼくのほうへと歩み寄ってくる。しかたなしに小さく挨拶を返した。窓際の女子どもが急に声をひそめて、サエジリ軍団は後方から刺激の強い視線をこちらに向けている。
 なんでぼくが焦らなくちゃならない。カシ、気づいてくれ。そう願っていたのに、なぜか昨日同じ班だったやつらまで、恐る恐る近づいてきた。
 なんだこれは。なに現象だ。
「もう、昨日は驚いたよ。ヤジマくん、いつのまにカワシロちゃんと仲よくなったのさあ」
 にへらへらと笑いながら、ぼくの背中をばんばんと叩くカシ。興味深げに耳を傾けてるイイサキとかカナエとかそのへん。どうやらコイツらも、元写真部らしい。
「でさあ、これでしょ? 写メコンって」
 そう言いながら、カシが携帯電話を見せる。写メコン? ああ、そういえば写メコンがあるって言ってたっけ。
 画面に映っているのはどこかのサイトの一ページらしい。十二月二十五日、体育館にてクリスマスパーティー開催。自由参加、お菓子・飲み物は持ち寄りで、吹奏楽部の演奏や演劇部の芝居があるらしい。そのページの一番下に、「クリスマス! 写メコンテスト」の、カラフルな文字とリンク。
 なんのサイトだ?
「知らないの? 生徒会のサイトだよ。生徒会長がブログつけてたりしてさあ。アドレス教えようか?」
「いや‥‥あ、うん」
 断ろうと思ったけれど、コンテストの概要が気になったのでお言葉に甘える。が。
「あ、おれの赤外線ついてないから、メルアド教えて」
 乞われて、しかたなしに紙に書く。と、書いていくそばから、イイサキたちもしれっと自分の携帯に打ち込み始める。おいおい‥‥いや、別にいいけどさ。週に二度も三度も鳴る携帯でもないしさ。
 ただコイツらの勢いに気圧される。知りたくもなかったが、一応アドレス帳に登録しておいた。登録数が十を超えるなんて一年ぶりだけど、うれしくはない。カワシロさんもカシもそうだけど、違和感はあったけど、コイツらみんな変だ。独特だ!
 早速サイトにアクセスしてみると、最初に現れたのはパスワード認証画面だった。荒らしや校外の人をシャットアウトするためだとカシは言う。
「パスワードはね、校長先生の名前。ゼンジってローマ字で」
 五十センチと離れていないのに、でかい声で。カシはけっこうおせっかいだ。
 写メコンは、掲示板を利用したもので、すでに投稿が始まっていた。いや、始まっていたというか。
「締め切り、今日だよ。ヤジマくんも参加するんでしょ?」
「え? いや、ぼくは‥‥しない」
「そうなの?」
 なあんだ、と口をとがらせるカシ。ますます不細工だ。そのすっとんきょうな顔がおもしろくて、ついふき出す。
 今日が締め切りか。じゃあカワシロさんの作品も、もう投稿されてるのだろうか。好奇心から探していると、察したようにイイサキが言う。
「カワちゃんのはまだだよ。彼女、写真にはこだわるから、ギリギリまで粘るんじゃない? 応募できるのは一人一つだから」
 ‥‥そうなのか。
「カワシロちゃんはすごいんだよ。一年生のときからいろんなコンテストで賞を獲っててさあ。写真部なんて、ほとんどの部員が活動してないのに、カワシロちゃんはすごいよ」
 やや興奮気味に語るカシに、イイサキたちはうなずく。ぼくも納得する。たしかに、あの写真部でちゃんと活動しているってだけで、ものすごくまじめな子のように思える。
 いやでも。昨日、授業サボってたよな?
「そういえばカワシロちゃん‥‥」
 カシが言いかけたとき、チャイムが鳴ってクガちゃんがやって来た。またあとでね、と言って、ささっと席に戻っていく。嵐が去った、ような気分だ。
 ショートホームルーム。静かといえば静かだが、そちこちでひそひそと話す声が聞こえる。胃がきりきりと痛む。
 まともに話したことなんかなかったのに、なんで急に。昨日ちょっと話しをしたからか――いや、きっとカワシロさんのせいだろう。彼女が、保健室で話しかけてきたから。
 それにしても、なぜ彼女はあの時間にあそこにいたのだろう。カシが尋ねても答えなかったっけ。
 そもそも、なぜ屋上にいただろう。しかもあの口ぶりからすれば、しょっちゅう来ているに違いない。
 思い当たることがないわけではない。むしろそれしか思い当たらなくて、でもそうでなければいいと、ぼくは思った。
 ショートホームルームが終わって授業の準備をする。一時間目は国語だ。教科書やら辞書やらを机に並べる。それでもすぐに先生が来るわけではないので、生徒会サイトを見ることにした。
 なるほど、生徒会長のブログがある。最新記事は昨日の書き込みで、写メコンの締め切りについて触れられていた。それから、生徒会活動の報告、各部活動の受賞記録、掲示板、などなど。イベントスケジュールもある。
 各部活動の受賞履歴。そうだ、カワシロさんがたくさん賞を獲ってるって、さっきカシが言っていたっけ。
 新しいものから書かれていた。 
『十一月二十日「初夏の路線コンテスト」優秀賞』
『十月一日「干支・ザ・ネクスト大賞フォト部門 小・中学生の部」最優秀賞』
『九月二十四日「咲く咲くさくらフォト! 学生の部」佳作』
『七月十五日「全県学生写真大賞 中学生の部」県知事賞』
 ‥‥これより前には遡れなかった。サイトができたのがこの時期らしい。それでもこの半年のうちに四つも賞を獲ってるのだから、なるほど、すごい。
 その彼女の携帯に、ぼくの映ってる写真がある。おお、なんだかこれ、すごいことのような気がしてきたぞ? ついでにぼくの携帯にも、彼女の映ってる写真がある。の、を、ふと思い出した。
 これを応募したら‥‥いや、怒られるだろうな。やめておこう。
 それに、‥‥もったいない。


 昼休み、ぼくは今日も屋上へ行った。カワシロさんがいるんじゃないかと思ったからだ。でもいなかったので、階段を下りて靴を履き替えて、今度は保健室前の植え込みへ向かう。案の定だ、彼女は今日も、例のビーズを探していた。
 葉の落ちた低木のなかでうごめく緑のジャージがよく目立つ。
「カワシロさん」
 声をかけると、彼女は驚いたように振り返った。ぼくに気づくと、ホッと静かに息をつき、瞬間強張った表情を弛める。
 グラウンドは静かで、校舎内からは走り回る足音や騒ぐ声が響いてくる。すぐ背後の保健室にもクロ先生の影があって、具合の悪い生徒でもいるのか、ベッドを囲う桃色のカーテンから、出たり入ったりしている。
「なにしに来た」
 なにしに。うーん、考えてなかった。
「ビーズを探すの、手伝おうと思って」
「‥‥暇人だな」
 呟くように言って、また足元に視線を戻す。ええ、どうせぼくは暇人ですよ。
「あと二つなんだ」
 背を向けたまま彼女が言った。小さく返事をして、ぼくも足元を注視する。茶色い土のなか、あのウッドビーズは隠ぺい色だ。石も枝も混ざってるし、このなかから五つも見つけ出した彼女の根性に頭が下がる。
 でも、とふと思う。
「携帯は階段のところに落ちてたんだよね」
 問いかけると、カワシロさんは面倒くさそうに振り返った。
「一度こっちに落ちて、バウンドしたんだよ。ムービーにも緑のが映ってたろ」
 ああ、そういうことか。そうだよな、ほかのビーズもここで見つかったんだろうし。でも携帯電話がそれだけバウンドしたということは。
 立ち上がり、階段を下りる。ふしぎそうに顔をしかめながら、カワシロさんがこちらを見ていた。
 黄色いグラウンドの上ならば茶色いビーズは目立つだろう。見れば、ないことはすぐにわかる。けど、わきを走る排水溝ならどうだろうか。
 ステンレスの格子を覗きこむ。砂が溜まっているほかに目立つゴミは多くない。幸いあの日から雨は降っていない。
 ぼくがなにをしようとしているのか察したか、カワシロさんが降りてきた。そこで階段を中心に、カワシロさんは左へ、ぼくは右へ、溝を覗いて歩いていくことにした。
 五分もしないうちだったと思う。カワシロさんが、「あっ」と声を上げた。振り返るとしゃがみこみ、格子を外そうとしている。でも開かない。
 ぼくのほうも、振り返る瞬間に気づいた。校舎側からなだらかに下る花壇。今は葉だけのツツジの影。
 カワシロさんのもとへ駆け寄って、格子を引き継ぐ。少し力を入れると簡単に開いた。とたんにカワシロさんが手をつっこんで、――六つ目。
「ありがとう」
 汚れを手で簡単に払って、口許を綻ばせる。眉尻がわずかに下がって、細い目をさらに細めて――ぼくまでうれしくなって、なぜだか照れてしまった。
 耳が熱い。
「そんなに大事なんだ」
 あと一つ。コンプリートに立ち会ってみたくなった。そうしたら彼女、どんなふうに笑うんだろう。
 ぼくの言葉に、小さくうなずく。愛おしそうにたった一つのビーズを見つめる彼女の目は、どこか遠くを見ている気がした。
 茶色いウッドビーズ。ツヤのある、丸い――あれ?
「傷、ついてない?」
「え?」
 二本の並行する線に、一本の線が交差する。わりと深いように見えるけど‥‥いや。
「これはもともとだ」
「なんだ」
 新しい傷ではなかった。ホッとする。
 それからぼくのほうも、見つけたものを差し出す。
「上靴。ツツジの木の下に隠れてた」
 落ちただろう場所から離れること、およそ十メートル。あまりの飛距離にカワシロさんが苦笑する。
「ただでさえボロボロなのに。買い換えなきゃなあ」


 放課後も探したけれど、彼女は写メコンの写真を選ばなくてはならなかったことと、ぼくも塾があるのとで、四時までで帰ることにした。校門までいっしょに歩いたけれど、家が反対方向なのが、ものすごく悔しかった。
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