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天使のいた屋上

   六

 事件が起きたのは締め切り直前、八時半くらいだったと聞いている。

 塾が終わって電源を切っていた携帯を立ち上げると、とたんにカシからのメールが届いた。続いて、留守番電話サービスからの伝言。聞いてみるとこれもカシで、メールと同じ内容だった。
 かなり慌てているらしい。聞き取るのも難しいくらい、声が震えていた。
『サイト! サイト、見た?』
 サイト。思い当たるのは、今朝教えてもらったばかりの、生徒会のサイトしかなかった。そんなに慌ててなにがあったのかと首をかしげながらアクセスする。ええと、パスワードは――「zennji」か。
 一見すると、特に変わったようすはないように見えた。今朝見たとおりのトップページ。冒頭の挨拶文にもおかしなところはない。
 しかし、よく見るとやはり違和感がある。カウンターだ。今朝見たときは、たしかまだ八千いくつかだった。今はすでに、一万千を越えている。全校生徒が見たとしても、四百人足らずの学校だ。だいたい半年でようやく八千アクセスのサイトが、今日一日でこれはありえない。
 スクロールしていく。写メコンの締め切りは九時だった。投稿掲示板がなくなってるのはそのせいだろうかと考える。と、ちょうどそのとき、カシからまた電話があった。
 すぐに出る。やっぱり慌てていて、混乱しているようだった。第一声の大声に、反射的に電話から耳を遠ざける。それでもカシの声ははっきり聞こえた。
『サイト、見た? やばいよ、カワシロちゃん!』
「カワシロさん?」
『掲示板! 掲示板見て!』
 電話をしていると見れません。カシがあんまり急かすので、そう断って一旦電話を切る。もう一度サイトにアクセスして、掲示板を覗く。
 いやな予感がした。
「なんだこれ‥‥」
 夜道、独り言つ。先に文字だけが表示され、遅れてサムネイル画像が順に現れる。
 ひざから力が抜けていく。手が震えて、頭がまっ白になる。歩くことも忘れ、すでに閉店した文具屋の前にしゃがみこんだ。
 なんだこれ。
 そう思ううちにカシからメールが来る。カシだけじゃない、イイサキやカナエからも来た。内容はみんな同じだった。
『カワシロさんは大丈夫?』
 ――今初めて知ったぼくに訊かれても、答えようがない。
 掲示板には同じ内容の書き込みが連続で投稿されていた。写真つきだ。それはこの場にはあまりにも不適切な、心無いものだった。
 投稿者名を見て愕然とする。違う。だれだ!
 多数の返信がつく。やめてとか消してとか、またはあおるような書き込みもあった。意味のわからない、打ち損じのような短い言葉も複数書き込まれている。
 脳みそが冷たくなる。背筋が凍える。
 音が、なにも聞こえなくなる。
 ――カワシロさん。
 違う。違うんだ。だってぼくは。
 そう言いたくて、すぐにアドレス帳を表示する。両親、自宅、父の会社、学校。その次に登録された、カワシロさんの電話番号。
 手が震えた。
 コールする。コール、する。
「カワシロさん!」
 ひどく長く感じたコールの末、はい、という声が聞こえて、ぼくは思わず叫んだ。心臓がバクバクして、呼吸が荒くなって、言葉を続けようとして続かない。
 声が出なかった。なにか言わなきゃ。でも、なんて? 目の前がぐるぐるする。
 ――カワシロさん。カワシロさん。
『ハヤト?』
 名前を呼ばれて、はっと息を吸う。ほんの少しだけ呼吸が楽になる。
 名前を呼ばれた。柔らかな声だった。
『なに?』
 柔らかな声だった。けれど、暗かった。
 あの。その。‥‥どう弁明しようか、考えてなかった。パニックを起こした頭では、黙るしかなかった。
 長い沈黙。実際は五秒十秒、それくらいだったのかもしれない。けれどそのあいだに、目の前を自転車が通り過ぎて、車のヘッドライトが次々に流れて、自動販売機がうなりだして、信号が赤に変わった。
 これが夢だったらいいのに。いや、夢なんじゃないだろうか。ただの悪夢。そうだったら、いい。
 泣きたい気分だった。
『――だれが書き込んだにしても、おれには関係ないから』
 先に口を開いたのはカワシロさんだった。彼女ももうアレを見たのか――今さら気づいて、ごまかせない現実に心臓が萎縮する。
『ばかなやつが、おれのことからかって遊んでるんだろ。気にするな』
「‥‥違う」
 からかわれてるのはカワシロさんじゃない。根拠はない。確信があった。
「ごめん」
 のどの奥からしぼりだす。「謝るな」と返事があって、それからすぐに電話は切られた。
 確信があった。あいつらだ。
 今朝のカシたちとの会話を、サエジリたちが聞いていた。聞こうと思わなくても聞こえたろうが、でもたしかにアイツは聞いていた。
 からかわれてるのはぼくだ。
 ――なのに一番傷ついたのは、カワシロさんだ。
 どうしよう。どうしよう。
 こめかみが熱くなる。知らず噛んでいた唇から、血が出ていることに気づく。体がだんだん熱くなっていくのを感じる。
 悔しい。なんでいつも、あいつらは。


 タイトル「川代トモキ氏」
 名前「ヤジマハヤト」
 本文「ご冥福をお祈りいたしマス。妹サンを見たら慰めてあげてクダサイ」

 周囲に先生たちや陸上部員が集まっている。ぼくや後輩たちの姿もそのなかにあった。少し離れたところに、制服を着た生徒たちもいた。上空から撮影されたらしいそれには、だれがだれであるかははっきりわからないものの、なにが起こりどんな状況だったかをよく示していた。
 保健室の前の植え込みが、赤く染まっている。かたわらには、ぐしゃぐしゃになった自転車。救急隊員が担架にだれかを乗せている。
 一年前。一年前の、写真だ。
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