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鷹匠麻衣子のあいうえお

   い 衣食足りて

 子どものころはとくべつが好きだった。自分はとくべつだと思っていたし、とくべつでありたいと思っていた。だけど大人になり、家族を、子どもを持ったら、とくべつ志向は嘘のように消えた。
 ふつうでいい。ふつうがとくべつだ。

 きっかけは、名前だ。わたしの名前は麻衣子、どこにでもいる、しいて言えばわたしの世代では少し流行った、ふつうの名前。どこが悪いというわけではないが、なんだかもっさりしているような気がしていた。特に「子」が古臭く見えて、「麻衣」で止めてくれたらすっきりしたのに、と疎ましく思った。
 羨ましかったのは、美咲ちゃんとか、千香ちゃんとか――漢字一文字で読みは三字になる名前などは一番の憧れだった。梓ちゃんとか、恵ちゃんとか。「子」がつくにしても理沙子ちゃん、綾子ちゃん、多恵子ちゃんはおしゃれに見えた。
 自分の名前だけダサいと、母に文句を言ったことがある。小学校低学年のころだ。自分の名前の由来を調べるという宿題が出て、母に訊ねた。答えは「なんとなく、語呂がよくて書きやすいから」だった。
 ちなみに旧姓は、これまたどこにでもいるふつうの苗字、中村。中村麻衣子、たしかに書きやすいし語呂も悪くない。でもそれも、平々凡々、パッとしない印象を強くさせていやだった。
 発表のときは恥ずかしかった。美咲ちゃんは「うつくしく咲くお花のような女の子に育ってほしい」、恵ちゃんは「恵まれた人生になりますように」、理沙子ちゃんは「理性も魅力も兼ね備えた人に」と、それぞれ名前にこめられた意味を述べた。
 そういう願いをわたしは聞けなかった。幼いながらに頭をひねり、なんとかでっち上げようと辞書を引いたけれど、なにも浮かばない。麻の衣の子、ただ服を着ているだけだ。
 結局、母から教えられたとおりに発表した。その日は一日惨めな気持ちで、帰宅してから母に不満をぶつけたのだった。なんでもっと考えてくれなかったの、と。母は悲しそうな顔をしただけで、なにも言わなかった。
 かわいい名前への憧れは大人になっても抱き続けていた。瑤子の名前も羨ましかった、瑤の字は見慣れないし、字義もきれいだ。ひかりちゃん、ももちゃんなどのひらがな名も、漢字の名前のなかでは珍しく、女の子らしくていいなあと思った。
 いずれ結婚して子どもを、女の子を産んだら、ぜったいに意味のあるかわいい名前をつける。そのために、高校のときに買った漢字事典を、わたしはずっと持ち続けていた。気に入った漢字にはラインを引き付せんを貼り、姓名判断というものを知ってからは画数を数えるようにもなった。

 覆したのは夫だった。いや、当時はまだ結婚どころかつきあってもいない、アルバイトと雇い主の関係だったのだけど。
 夫の名前は鷹匠一。なんのひねりもなく、はじめ、と読む。ごてごての苗字にシンプルすぎる名前。
「アンバランスですね」
「そう? 苗字が面倒だから、名前が簡単でよかったよ」
 思い返すと恥ずかしい、失礼な発言だったと思う。だけど夫――店長は気にするようすもなく、そうほほ笑んだ。それから、
「麻衣ちゃんの名前もいいよね。呼びやすいし覚えやすいし、かわいい」
 さらりと続けた。自分から振った話なのにまさかそんなことばが返ってくるとは思わなくて、しばしセリフの主を見つめてしまった。
 本人はなにも気づいていない、平然と仕事をしていた。季節の変わり目で新作メニューの試作をしていたときだ、銀色に光るアルミパンをざっと振り、オリーブ香るスパゲッティを皿に盛った。小指を丸めたサイズのバナメイエビが絡み、上にはみずみずしいバジルを添える。
 鮮やかに思い出せるのは、ほかのことは一切考えず、それだけを見ていたせいだろう。
「どう?」
「あ‥‥おいしそうだすね」
「だすって」
 ぷは、と笑う。やってしまった、恥ずかしさに耳が熱くなって、慌てて両手で押さえた。わたしは洗いものをしていて手が冷えていたからちょうどよかった。
 なぜ名前の話になったのだったか――そうだ、厨房内に掲示された食品衛生責任者の名札を眺めていたら、どうしたの、と訊ねられたのだ。珍しいけれどかっこいい苗字だなと思って、だけど名前は一文字一画、すごくシンプルだなと思って――と。
 笑い声に誘われ、客席を掃除していたもう一人のアルバイト、鹿島くんが寄ってくる。黙っていてくれたらよかったのにそれは叶わない、消えてしまいたい気分だった。
 顛末を聞いて、普段はクールな鹿島くんがにやにやした。こんな些細な言い間違いはだれだってする、人づてに聞いてもおもしろくないものだ、なのに鹿島くんがなぜにやけるのかわからなくて、わたしはますます動揺した。反対に店長はすっかりいつもの調子に戻って、感想よろしく、とスパゲッティを三つに分けた。
 味は覚えていない。ただその日の帰り道、駅へ向かう暗がりを二人で歩いていたときに鹿島くんに言われたことは、いたずらっぽい口調まではっきり覚えている。
「店長、今フリーだよ」
 さすがに今は理解したけれど、そのときはなんの話だろうとふしぎでしょうがなかった。

 名前の話はもう少し続く。
 二十三歳で結婚、翌年妊娠した。女の子とわかってすぐ、付せんだらけになった漢字事典を開き直した。かわいく読みやすく、よい意味で画数もいい、そんな名前を改めて探す。
 かわいいだけでいいなら簡単だが画数を考えると難問だ。なにしろ「鷹匠」だけで三十画もある。十一画にすれば大吉数にできる、七画と八画の二文字ならバランスのいい運勢にできるけれど、わたしがラインを引いた漢字は揃いも揃って、一字で十二画を越えていた。
 響きだって捨てたくない。漢字は読み書きするもので呼ぶものではないから、言いやすいものがいい。
 なにより願いは最も大事だ。それがなくて、わたしは悲しかったのだから。
 結婚後も続けていたアルバイトは妊娠を機に辞めた。夫の両親とともに暮らす家で、一人きりになる夕方、わたしは連日、名前に悩んでうんうんとうなり続けた。我ながらあほらしいと思うが、悩みすぎて参ってしまい、眠れなくなってしまったこともあった。
 お義母さんは呆れながらもなにも言わず世話をしてくれた。普段は鈍感な夫もさすがに思うところがあったらしい。店がお休みの日、リビングで本を読んでいた夫が突然、こう切り出した。
「絹子なんてどうかなぁ」
「えっ」
「子どもの名前」
 絹。漢字も響きも意味も、まったく候補になかった字だ。
 すぐに紙とペンと漢字事典を取り出して、まずは画数を調べる。十三画と三画、十六画。名前だけなら大吉数だけど、姓も含めると、よくない。
 口に出して言ってみる。たかじょうきぬこ。悪くはないが、今はちょっと華やかなくらいが流行りだ、ふつうすぎる気がする。しかもわたしすら「子」がいやだったのに、この子の世代じゃあもっと古く感じるのではないか。
 意味も。「絹」には絹というものを示す意味しかない。
 せっかく提案してくれたけれど。返事をしないわたしに気づいてか――いや、気づいていなかったと思う、そういう人だ。だからちゃんと考えてあって、説明するつもりでいたんだろう。 
「衣食足りて礼節を知るって言うでしょう。うちは料理屋だから食は足りる。あとは衣があれば礼節がついてくる。麻衣ちゃんが麻だから、この子は絹ちゃん。それで、絹子のほうが据わりがいいかなって思って」
 目からうろこが落ちた気分だった。
「でも、画数が‥‥子も、なんか古い気がするし‥‥わたしもいやだったし」
「そうなの? ぼくは好きだけどなあ、麻衣子」
 普段は麻衣ちゃんなのにフルネームで呼ばれて、口元がむずむずした。
 アルバイト時代に鹿島くんとよく話した。店長はよくも悪くも素直。いつも思ったことをぽろぽろ言う。それがどういう意味かなんて深く考えないから、わかりやすいけれど厄介。自分の一言で相手が泣いても怒っても、喜んでも原因を理解しない。
 なにも考えていない。わかっているのに、突然、自分の名前がとくべつ製に見えてしまった。
「名前だけなら悪くないんでしょう、画数。どう? だめかな?」
 いやだなんて言えなかったし、もう思わなかった。

 産まれて家族や友人に連絡したところ、おめでとうに混じって、瑤子からはささやかな批評を頂戴した。予測はしたけれど、「ふつうすぎて古い」と。
 もうつけてしまったし、この子に一番ぴったりな名前だと思っているよと返したら納得したようだった。彼女は彼女で流行りの名前をつけて、あちこちからいろいろ言われたらしい。結局は本人次第だよね、と言い合って終わった。
 そう、本人次第。不安がないわけではなかった。胸を張って説明できる由来はあるけれど、それでもいやだと言われてしまうかもしれない。「絹子」を古いと言う人は瑤子のほかにも何人かいて、その評価を娘が聞いたときに悲しむのではないかとはらはらしていた。
 結論から言うと、杞憂だった。
 幼稚園に通い出してすぐ、顔見知りになったよそのお母さんに笑われたことがある。
「絹子ちゃんって、まるでおばあちゃんみたいな名前ね」
 思い出すと今でも腹が立つ。きれいにお化粧して、きれいな服を着て、いかにもすてきなお母さんというふうだったけれど、けらけらと笑う姿は心底下品だった。
 だけど娘は目をキラキラさせて、飛び跳ねて喜んだのだった。
「やったあ、おばあちゃんみたいだって!」
 くだんのお母さんは笑うのをぴたりと止め、目をまん丸くして娘を見ていた。

 麻衣子と名付けてくれた母に、今は感謝している。

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