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鷹匠麻衣子のあいうえお

   あ アサリの味噌汁

 貝のなかで一番かわいいのはアサリだと思う、と言うとみんな首をかしげる。えっ、とことばを詰まらせたり、苦笑いをしたり、なかには否定する人もいる。「だって、食べるんでしょう」と。それはそうなのだけど、かわいいものはかわいい。
 一番好きな食べかたはなんといっても味噌汁だ。蝶々のように開いた二枚の殻の片側に、ぴたりと納まるオレンジがかった白い楕円。ちょろんと伸びた水管の先だけが黒い。たまに頑固な貝柱にあたると、くそー、と思う。
 アサリは安くておいしい。その上わたしが好きなものだから、夫は市場へ行くと、しょっちゅう買って帰ってくる。仲のいいお店ではおまけでいただくこともあるらしい。もちろんメインの用事――お店の仕入れでたくさん買うからこそなのだけど、ありがたいことだ。
 そういうわけで、我が家ではたびたびアサリの味噌汁が出る。
 アサリのいいところは、まず出汁を取らなくていいこと。アサリ自身から出汁が出るから、水から火にかけて、口が開いたら取り出して、味噌をとかして戻せば、おいしい味噌汁のできあがりだ。その日の気分で出汁に昆布を足したり、具にネギやサヤエンドウを加えたりもする。
 楽しいのは砂抜きだ。バットに塩水を作り、アサリを放流して三時間ほど放っておく。最近の商品はおおむね砂抜き済みだそうだけど、一度怠けたときにジャリッとしたことがあるのと、やっぱりアサリが一番かわいいのはこのときだから、わたしは必ず砂抜きをする。
 二枚の殻をパクパクと、開いては閉じ、開いては閉じ。ときにはぴゅうっと水鉄砲。
 個体によって柄が異なるのもいい。黒、茶、白、青っぽかったり黄色っぽかったり、縞柄やブチのような柄、柄ではないけれど殻が変形している個体もある。同じ模様は二つとない。個性溢れるそれらはまるでやんちゃ盛りの小学生だ。
 柄はおおよそ親からの遺伝で決まるらしい。柄が似ている個体は兄弟か親戚かもしれない。
 バットのなかでごそごそと動く姿に、小さないのちを見ている。

「残酷」
 心底軽蔑するとでも言わんばかり、目を細めて彼女は言った。三和瑤子、高校時代からの友人というか、腐れ縁だ。わたしも彼女も出身は隣の県、地元の高校で出会うも卒業後の進路は反対方向だったのに、嫁いだらご近所さんになってしまった。昔から口が悪くて苦手なのだけれど、互いに同じ年ごろの子どもがあり、なかなか縁が切れない。
「そんなこと言われたら、わたし、アサリの気持ちになっちゃうわ。苦しい思いをして産んで、あれこれ世話してしつけして、ようやくランドセルを背負わせたら、自分たちより大きな存在にかっさらわれて食べられちゃうだなんて、絶望」
「そこまでリアルに考えなくても」
「かわいいなんて思わないほうが気が楽ってことよ」
 鼻で笑う。ちょっとイラッとする。
 ようやく暖かくなってきた三月半ば、よく晴れた昼下がり。公園には乳幼児を連れた若いお母さんや日向ぼっこに出てきたおじいさんおばあさんの姿がある。静かなのは小学生の下校が始まる前だからだ、あと一、二時間もすれば、まるでスイッチのように顔ぶれが入れ替わる。
 うちの子は二人とも小学生。今は、帰りを待ちつつ一人の時間を満喫しているところ――だった。そこへ瑤子が、二歳になる第三子を連れて現れたというわけだ。ベンチに腰掛けるわたしを見つけると、大声で名前を呼び、まっすぐに歩み寄ってきて隣に座る。お義母さんから借りた本を早く読んでしまいたかったけれど、仕方なしにしおりを挟んだ。
 久しぶりね、近所なのに、元気だった、なに読んでたの、と矢継ぎ早にまくし立てる。瑤子はいつもこうだ、相手の返事なんか待っちゃいない。適当に返事をして、フウちゃんと遊びに来たんじゃないの、と言うと、この子はいいのよ、とけらけら笑った。
「フウは外で遊ぶの、あんまり好きじゃないみたい。でも日光は浴びたほうがいいって言うでしょ? 日向ぼっこしに来たのよ」
 ね、と笑いかけ、ずれた麦わら帽子を直すと、フウちゃんもにこりと笑った。ああ、彼女も母親なんだなあ、と当たり前のことなのに感心する。
 遊んできてもいいよ、と瑤子は促したけれど、フウちゃんはわたしと彼女のあいだに割りこんで座った。そしてワンピースのポケットから折紙を取り出し、わたしに見せる。
「あ、鶴だね、じょうず! フウちゃんが折ったの?」
 問いかけると首を振り、小さな声で「おねえちゃん」と答える。褒めたのがよかったのか、誇らしそうに折り鶴をなで、またポケットにしまった。うちの子のときにも覚えがある、きっと自慢したかったんだろう、それが叶って満足したんだろう。
 フウちゃんはおとなしい。本当に瑤子の子なのか、と思うほど。
 アサリの話になったのは、今日の夕飯はなににするの、と瑤子に訊かれたからだ。今日は夫が市場へ直接買い出しに行っていた。やっぱりアサリを買って帰ってきたから、家を出る少し前までアサリが砂を吐くさまを眺めていた、そのことを話した。砂出しって面倒くさいよね、と言われたので、そんなことはないよと、わたしのアサリ観を述べたのだった。
 結果が、「残酷」の一言。
 わかってもらえるとは思っていない。アサリをかわいいと思っていることは本心だけれど、人には半ばネタとして話しているところもある。多少笑われたり引かれたりしても、話が盛り上がればいいな、と考えていた。
 瑤子は真正面から受け止め、真剣に考えた。その新鮮な反応に、こちらがギョッとしてしまった。
 かわいくてもかわいくなくても、食べてしまえば同じだ。いずれわたしの血肉となる――というと、こんな小さな貝なのに大げさな、と感じてしまうが、鉄分やビタミンB12が豊富で貧血予防にいいらしい。ビタミンB12がなんなのかよくわからないけれど、とにかく、たしかに血肉になっている。アサリも一つのいのちと考えればたしかに残酷、可哀想ではあるけれど、それも食物連鎖の上のこと、大切にいただけばいい。
 なんだか壮大な話になってしまった。アサリをかわいいと言っただけで、話がここまで飛躍するとは思わなかった。

「アサリの柄といえば」
 いのちの話から逸らそうと、先日聞いた話を披露する。夫が、北海アサリというものを買って帰ってきたときのことだ。
「アサリって、産地によって柄が違うの」
「えっ」
 首をかしげ、少し考えてから、瑤子が返す。
「いつも、ぜんぶ違うよ」
「そうなんだけど――なんていうか、違うの」
 北海アサリとは、北海道で獲れるアサリのこと。名前のとおりだ。それだけでわざわざ北海とつけるなんて、と思ったけれど、見てびっくりした。
 一目で違うとわかる。いつものアサリより大ぶりで、中身もぎゅっと詰まっていた。なによりみんな同じ、茶色い殻をしていた。産地が変われば色味も変わる、だけど北海アサリほどはっきりくっきり出身を主張するアサリはない。
 いつも通り味噌汁にしてみたけれど、それほど味覚の鋭くないわたしでも味の違いを感じた。シジミは北へ行くと大きくおいしくなると聞く。同じ二枚貝だ、アサリも同じでもふしぎじゃない。
 だけど柄まで特色が出るのか。お行儀のいい、私立の学校へ通う小学生のような彼らが、個性豊かなやんちゃ盛りたちと同じアサリだとはとても思えなかった。
「‥‥それでもやっぱり、小学生に見えるのね」
「あ」
 しまった。思わず間抜けな声を出す。瑤子が呆れたように、へっ、と鼻で笑った。二回目。でも意図は察してくれたらしい。
「北海アサリかあ、いいこと聞いたかも。うちのパパ、貝が好きなんだよね。おいしいなら食べてみたい。ねえ、今度買ってきてもらうようにお願いできない? もちろんお金は払うから」
 無邪気なお願い。彼女は家族が大好きだ。アサリに感情移入してしまうくらい、心根の優しい子だ。ただ、ただちょっと、口が悪い。
「あー、うん、訊いとく。でも北海アサリって、ちょっと高いんだって」
「そうなの? まあいいよ、ちょっとくらい――あ、帰ってきたみたいよ、アサリちゃんたち」
 アサリちゃん? 三回目の鼻先が、公園前の道路を示す。なるほど、小学生たちの下校の時刻か。でも一言言いたい、別に小学生がアサリに見えるわけではない。
 瑤子は昔からこうだ。相手のことばを拾ってからかう。こっちはなにかおかしなことを言ったような気になって落ち着かない。今回は自覚があるからまだいいけれど。
 低学年の子どもたちが列をなしての集団下校。このごろはランドセルでも個性を主張する。わたしたちが子どものころは男女で決まっていた、男の子は黒、女の子は赤だったのに、今は青やオレンジ、水色やピンクも珍しくない。実にカラフル、個性豊かだ。
 そのなかに三和家の第二子、ヒュウくんを見つけ、フウちゃんがパッと走り出す。瑤子もそれを追って歩き出した。
「じゃあ、またね」
 母親に気づいて集団下校の列を離れ、おかあさーん、と叫ぶヒュウくん。テトテトと体を左右に大きく振りながら、けれど転ぶこともなく走るフウちゃん。のんびり見えて大股に歩く瑤子の後ろ姿は、どこにでもいる、優しいお母さん。
 そう、どこにでもいる、ふつうの。
「‥‥やっぱり、ふつうのアサリかなあ」
 北海アサリもいいけれど。
 息子も帰ってくるころだろう、夫もそろそろ起きるはずだ、家に帰って食事の支度をしよう。おかずはハンバーグにサラダにアサリの味噌汁、ネギでも刻んで入れようか。小学生が合唱する習ったばかりの童謡につられて、懐かしいメロディを口ずさむ。
 あんまり天気がいいものだから、思わず足取りが軽くなる。今日もいつもどおり、ふつうの一日だった。

あ ・
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