HOMENOVEL>・穴

・穴

 小さな長方形の端にポツンと開いた小さな穴からは、不思議な世界が見える。
 そこに住むのは二人の小人だけだ。真っ黒な部屋に暮らすその二人は兄妹で、お兄ちゃんをアッチ、妹をサッチという。
 アッチもサッチも綺麗な栗色の髪をしていて、健康的な肌の色、真っ黒な目に桜色の頬はとても愛らしく、よく似ている。ただ違いといえば、アッチは首飾りをしていた。
 二人は仲良しで、いつでも、何をするにもいっしょだった。

 ある日、サッチがウサギの親子の絵本を読んで言った。
「どうしてサッチとお兄ちゃんには、お母さんがいないのかしらねえ?」
 それを聞いてアッチは、とても悲しんだ。
「お兄ちゃんがいるじゃない、サッチにはお兄ちゃんがいるじゃない」
 サッチはなにか言おうとしたけど、アッチが泣きそうな顔をしているのを見てやめた。
「そうね、お兄ちゃんがいるからサッチ、お母さんいらない」
 サッチの答えを聞いて、アッチはほっとしたように微笑んだ。
 それから二人はまた仲良く数日暮らした。

 また別のある日、サッチは太陽とお空の絵本を読んで言った。
「どうしてここのお部屋は真っ暗なのかしらねえ?どうして太陽さんもお空さんもいないのかしらねえ?」
 それを聞いて、アッチはやはりとても悲しんだ。
「太陽さんもお空さんもいらないじゃない、真っ暗でいいじゃない。だって、お兄ちゃんがいるんだもの」
 サッチはなにか言おうとしたけど、アッチが泣きそうな顔をしているのを見てやめた。
「そうね、サッチ、太陽さんもお空さんもいなくてもここが大好きよ。だって、お兄ちゃんがいるもの」
 サッチの答えを聞いて、アッチはほっとしたように微笑んだ。
 それから二人はまた仲良く数日暮らした。

 だけどサッチは寂しかった。お兄ちゃんはいるけど、とってもとっても優しいけど、でもお母さんも欲しかったし太陽とお空も見たかった。
 お兄ちゃんには言えないけれど。
 そんな妹を見て、アッチは悲しそうに首飾りを見た。

 また別のある日、サッチは今度は外国の絵本を読んで言った。
「ねえお兄ちゃん、このお部屋のお外には、よそのお国があるのかしらねえ?よそのお国に行ってもいいのかしらねえ?どうしたらいけるのかしらねえ?」
 それを聞いて、アッチはやはり、でもいつもよりもっと、とても悲しんだ。
「サッチ、よそのお国に行きたいの?」
 それでサッチはアッチを見た。アッチはなんだかいつもと違う、寂しそうな顔をしている。サッチは決心したように、けれど優しく言った。
 「うん、行きたいわ。だからお兄ちゃん、いっしょに行きましょうよ」
 するとアッチは、首を横に振った。
 それからポケットの中から小さな長方形の紙切れを出すと、サッチに渡した。紙切れには『お母さんと太陽さんとお空さんのいるよそのお国行き』と書いてある
「もうすぐ列車が来るから、そうしたらそれにお乗り」
 アッチはサッチにようく言い聞かせた。
「お兄ちゃんもいっしょに行きましょうよ」
 サッチはもう一度そう言ったけど、アッチはやはり首を横に振った。前より少し小さく見える首飾りが揺れる。
「気をつけるんだよ。ここで待ってれば列車が来るから」
 そう言い残して、アッチはどこかに消えてしまった。
「お兄ちゃん!」
 サッチが叫んだけど返事はなかった。

 それからすぐに列車がやって来て、サッチはアッチの言った通りに乗り込んだ。
 列車の中には誰もいなかったので、一番前のシートに腰掛けた。
 ふと切符を見ると、いつの間にか小さな丸い穴が開いている。サッチはその穴を覗き込んだ。すると不思議なことに、その穴から眩い光が溢れ出し、その光はカメレオンの舌のようにサッチを穴の中に引っ張り込んで―――‥‥

 「あら、サッチったら」
 お母さんが笑った。
 天気のいい昼間の電車には太陽の光がギラギラ照りつける。サッチはベビーカーに乗せられて、お母さんといっしょにおうちに帰るところだ。
 お母さんはお友達とお話しをしている。でもサッチには難しくてよくわからないから、サッチはお母さんが貸してくれた切符の穴を覗いていたのだ。
「本当、お兄ちゃんは残念だったけど‥‥サッチが二人分幸せになってくれるよ」
「そうね。そうよね」
 お兄ちゃん、どうして来なかったんだろう。
 ひょっとして、切符が一枚しかなかったのかな。サッチがワガママに言ったからお兄ちゃん、サッチにくれたのかな。そうだ、お母さんに言ったら、お兄ちゃんに切符、くれるかな。
 今はまだ上手にお喋り出来ないから、お喋り出来るようになったら言おう。

 切符の穴から太陽とお空とお母さんを順番に眺めながら、サッチはそんなことを考えていた。

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