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CHO! GO! KIN!


 テーマはヒーロー。なら、めちゃくちゃカッコイイヒーローを書いてやろうじゃないか。


「というわけでこうなりました」
「‥‥ひどいね」
 作品を見せるなり、先生は顔をしかめた。原稿用紙を、右から左へ、また右から左へと何度も読み返す。次のページへ進んだのは、五回ほど繰り返してからだった。
 眉間にしわを寄せている。こめかみに青筋を立てている。ピンクの回転いすをくるくると回している。あごに左手を押し当て、柔らかそうな指が白い頬を叩いている。
 いらいらなさっている。
「どこからつっこむべきかな」
「どこからでも! さあ! 遠慮なさらず!」
「そうしたいのは山々なんだがね」
 カーペットに正座したまま、両手を広げるおれ。タックルされたって受け止めてやるくらいの気合いで彼女を待つ。対して先生は、はあ、と力なくため息をついた。
 左手が頬を撫で額にのぼり、まぶたを覆う。うーんと唸り、それからまた、さっきよりも大きな、海よりも深いため息。
「きみはわたしのなにを見てきたんだ」
 いつもは鈴のようにかわいい声が、泣きそうに震えている。感動しているわけではなさそうだ。
 情けない、あー情けないと首を振る。肩で揃えた緑の黒髪が、さらさらと揺れた。

 先に断っておくが、彼女は同い年だ。学校は違うけれどともに十六歳、高校一年生。誕生日は彼女のほうが遅いから、「先生」という呼称は誤りかもしれない。
 しかしおれはときおり、彼女を先生と呼ぶ。そういうとき、彼女もおれを生徒と扱い、口調もなんとなく偉そうになる。間違っても、普段から先生と生徒ではない。幼なじみのミキぽんとコタロっちだ。
 で、今は師弟モード。なにをしているのかといえば、小説だ。
 おれたちは小説を書いている。
「なにをって、すべてを見つめてきました、先生」
「そうだね、文体はわたしにとてもよく似ている。だけどまるでツギハギだ、作品としてのまとまりがない」
 ぺん、と指で原稿用紙をはじく。まとまり‥‥具体的には?
「一文一文が自由奔放。学級崩壊クラス」
「抽象的すぎます、もっと具体的に」
「コタロっちさあ、‥‥いや、きみ。きみ、これ、自分では読んでみたの?」
「‥‥先生に一番に読んで欲しくって!」
 元気はつらつ、好感度アップを狙ってごまかそうと試みたものの、先生の眉間にしわを増やしただけでした。
 先生がお怒りだ。いつもはアンテナがごとく立っている小指が、先生の眉毛をがしがしと掻きむしっている。
 完全におれの失態だ。
 書き上がった瞬間、最高傑作だと思ったんだ。設定も展開も最高にカッコイイ。主人公なんかまさに理想のヒーロー! ぜったい褒めてもらえるだろうと思ったら気持ちが高揚してしまって、教えも忘れて先生の家に押しかけてしまった。
 教え。つまり、音読してみろ、だ。
「きみの文章は読みづらいんだ。読点がおかしなところに打たれているし、異常に長い。た、で終わる文もよく続くしね。~た、~た、スッタカタッタのタッタッターだ」
 音痴なくせに、調子っぱずれにおどけてみせる。今は師弟でも、基本は友だちだ。気を遣ってくれたのだろう。声色も顔色も怖いままだけど。
 カーテンもベッドカバーも勉強机もぬいぐるみも、なにもかもがピンクと白ばっかりの部屋なのに、どんよりと重い空気のせいで灰色に濁って見えた。
 と、ここに一陣の風。
「羊羹とケーキ、どっちがいい?」
 と、おばさんがドアの外から問いかけてきて、師弟モードが中断される。
 あと十年もしたら、ミキぽんもきっとこんな声になるんだろうな。おばさんの声は四十代後半とは思えないくらい、優しくてかわいい。
 ダイエット中なの、と断るミキぽん。甘いものは苦手なので、と合わせるおれ。じゃあリンゴでも切ってくるわね、と笑うおばさん。
 ホント、優しいなあ。ドアは開かれないまま、スリッパの足音が遠ざかっていく。
 ミキぽん邸はいつもいい匂いがする。天才作家が育つ家はやっぱり違うな。女の子の家だからっていうのもあるだろうけれど、カレーかハヤシライスか餃子の匂いしかしない我が家とは天と地ほども違う。
「いやいや、天才とか、買いかぶりすぎだから」
「ん?」
「いやいや‥‥まあいいや」
 ミキぽんが、ごほん、と咳払いをする。重ねた原稿用紙をトントンと揃え、はあ、とまっ赤な頬を押さえた。それから控えめに、眉尻を下げておれに尋ねる。
「続けていい?」
「はい、先生!」
 どうしたのだろうと小首を傾げつつ、お怒りが落ち着いたらしいことに安堵する。先生、と呼んだことで、師弟モードが再開された。
「タイトルはどうしてこれに?」
「ヒーローといえば超合金です、先生」
 今回のテーマはヒーロー。原稿用紙三十枚程度で書いてこい、が宿題。そうしてできた作品が『CHO! GO! KIN!』、二枚オーバーしたけどご愛敬。
「でも超合金、まったく関係ないね」
「こういうのは勢いが大事です、先生」
「その勢いが文章で殺されるんだよね。ストーリーもありきたりだし」
「ありきたり‥‥」
 さらっと言わないでください。ありきたり‥‥ごく平凡ってことですよね。そのへんに転がってそうってことですよね。
 ちょっと待ってくださいよ。ない頭を必死にひねったのに。自信作なのに。
「カッコよくない? ほら、この、『今しかない! 次なんかない!』とか」
「悪くはないよ。でも、そのセリフも含めて王道だからね。数人が同じテーマで書いたら、半分はこういう話を書いてくる。必然的に文章での勝負になって、この作品は見劣りする」
 淡々と解説する先生。さすがだ、容赦ない。そうか、王道か。そうかそうか。
 がっくりと肩を落とすおれをよそに、先生はペン立てから赤ペンを取り出す。す、す、と線を引く姿は凛としていて、まさに理想の先生だ。
「誤用が多いね、これは要勉強かな。それと‥‥」
「それと?」
 うーん、と、珍しく先生が口ごもる。説明しづらいのだろうか、言いにくいことなのか。ごくりとつばを飲み、先生を見つめる。けれど視線をそらされる。なんだろう、すごく不安だ。
「すごく不安だ」
「なにがですか先生!」
 思ったことをほとんど同時に言われて、間髪入れずに、声を裏返しながら尋ねる。おれの勢いに、先生がびくっと飛び上がる。
 いや、その、と、目を泳がせつつ、先生が切り出したのは思わぬ質問だった。
「コタロっちさ。将来結婚して子どもができたらさ、どんな名前つけようかなあ、とか、考えたことある?」
 師弟モードの唐突な中断。なんですか、急に。いきなり将来設計ですか。そんなこと言われたらあらぬ期待をしてしまうじゃないですか、どぎまぎしてしまうじゃないですか。
「あ、うん‥‥あるけど」
「どんなの?」
「うーん、男だったら、マサヨシとか、ヤスタカとか」
「案外普通だね、っていうか真面目な名前だね」
「おれの名前ってどっちかってーとかわいいじゃん? 似合わないと思うんだよね、コタロウって」
「ああ、そうだね」
 安心した、と言わんばかりに、ミキぽんが笑う。おおう、なんだ。言いたいことがわかってきたぞ。
 おっほん、とわざとらしい咳払いをして先生が言ったのは、予想通りのお言葉。
「名前が読みづらい。当て字も甚だしい。フィクションだからって、ふりがなが必要な名前は読者に不親切。名前じゃなくてキャラクターそのもので個性を出せ」
 ばっさり、だ。
 言い切ってすぐ、先生がころころと笑いだす。
「いやあ、でも安心した。子どもにこんな、キメラだのガイガだのなんて名付けた日には、友だちをやめるところだよ」
「え、ガイガはよくね?」


 気まずい沈黙を破ってくれたのは、おばさんとリンゴだった。
「コタロウくん、またなにか書いたの?」
 弾む声で尋ねるおばさんの手には、八匹の赤いウサギと、冷たい麦茶を載せたお盆。そんなおばさんに、原稿を渡そうとする先生。
 あ、と手を伸ばしたけれどもう遅い。お盆はおれの手に。作品はおばさんの手に。そういうつもりで手を伸べたのではありません、先生。
 うなだれるおれに、先生は意地悪を言う。
「わたしの先生はお母さんだもん、なにもおかしいことなんかないでしょ」
 くしゃりと笑う先生。くそう、その顔は卑怯だぞ。なにも言えないじゃないか。
 ちょーごーきんねえ、おもしろそうねえ、と朗らかに笑いながら原稿用紙をめくるおばさん、もとい大先生。心臓がばくばくする。ミキぽんが麦茶を勧めてくれるけど、コップを持つ手が震えて、うまく飲めない。


 遅ればせながら、先生がなぜ先生なのかを説明させていただこう。
 先生は二年前、若干十四歳にして第十八回・平成ファンタジー小説大賞のグランプリに輝いた。受賞作『エントリー!』も一年前に刊行され、今書店に出ているのは第三版だ。
 けれど当時、おれは知らなかった。受賞のこともだけど、ミキぽんが小説を書いているも、だ。
 友だちなのに、と思われるかもしれない。けれど本当のところ、おれたちはたいして親しくなかった。
 だってミキぽん、学校ではいつも一人で本を読んでいるし、昼休みには図書館にこもってしまう。おれはみんなと騒いでいるほうが好きだし、そもそも男と女。挨拶くらいはしていたけれど、なんとなく距離があった。
 それが変わったきっかけこそ、『エントリー!』だ。
 おれが本を買って読んだ。動機は超簡単。夏休みの宿題の定番、読書感想文のためだ。
 読書は嫌いじゃないけれど、作文は大の苦手。感想を書くために読む本を探すというのも、本に感動を強要しているようで気分が悪い。けれど宿題だ。しかも中学三年生、受験生。さぼるわけにはいかなかった。
 仕方なしに本屋に向かった。暑い日だった。自動ドアに迎えられ、涼しい、と伸びをした。とたん、平積みにされた『エントリー!』が目に飛び込んできた。ほとんど直感だ。
 赤い表紙。黒いゴシック体の題字。書店がつけたポップには、『十五歳の天才作家、現る!』と書かれていた。おれと同じ歳だ、と興味を引かれた。
 実際、作品はすばらしかった。舞台は現代、主人公は幼なじみの女の子とその恋人を守るため、魂を賭けて悪に立ち向かう。ファンタジーなのにリアル、妙に人間くさい主人公には共感しまくりで、ラストには思わず涙した。苦手なはずの感想文がすらすら書けたっけ。
 おれの直感を褒め称えたね。ビバ直感! いや、これはもう運命だ!
 という一人祭りはさておき。著者『三木エーテル』がミキぽんだと知ったのはその数ヶ月後。衝動的に押しかけ、弟子入りして今に至る、と。


「コタロウくんらしくって、いいんじゃないかしら」
 おばさんがころころと笑いながら、原稿をミキぽんに返す。決して喜んじゃあいけない。ミキぽんいわく、なにも言わないのは批評ができるレベルに達していない証拠、だからだ。
 なにか書いたら、ぜひまた見せてね、とおばさんが部屋をあとにする。はいとは言えず、はは、と曖昧に笑ってごまかした。
「ひでえよ、ミキぽん。おばさんに見せるなんて」
「ひどくないよ、さっきも言ったでしょ。お母さんはわたしの先生なんだから」
「むう‥‥」
 そんなこと言われても、おばさんに読まれるのはやっぱり落ち着かない。恥ずかしい。友だちだって、先生以外には見せないのに。だいたい、おれは作家を目指しているわけじゃない。
 じゃあなんで書いているの、と訊かれると困るのだけど――やめだやめだ、話を変えよう。
「な、次のテーマはなに?」
 尋ねると、先生はおれの原稿を乱暴に突き出した。添削がなされ、一面まっ赤になっている。まっ赤、まっ赤、マッカカマッカのマッカーサーだ。
「書き直しが先。十ページ削って、五ページ膨らませて」
「どゆこと?」
「だから‥‥」
 先生は簡単に言うけれど、どうしていいのかわからない。見飽きたため息をまたついてから、まずはいらないシーンと描写を削って、盛り上がるシーンをもっと書き加えて、と言った。厳しいなあ。
「あと」
 まだあるのか! うへ、と返事をしたおれの顔、たぶん、すごく不細工だったと思う。
 おれをまっすぐ見つめていた先生の口許が、笑いたそうに歪む。
「お母さん、コタロっちのこと、すごく気に入ってるんだよ」
 ‥‥なんだ、作品のことじゃないのか。
「うん、嬉しい」
「うん、よかった」
「うん‥‥うん?」
 なにが、よかった? わからなくって疑問符を返すと、ミキぽんの顔がだんだんと赤くなっていく。なんだ、どうした。ちょっと、顔を背けないで! おれ、どうしたらいい?
 ああ、そう、そうだ。こういうときはシーンを切り替えるのがいい、って、先生が前に教えてくれたっけ。
「それより先生、先生の作品も読みたいです!」



 読書感想文が校内コンクールで佳作を獲った。奇跡だった。見直した、と担任に言われた。友だちにも、おまえ文才あったんだな、なんて褒められた。
 それが十月頭だったかな。持ち上げられたのはわずか三日で、年末にはもう過去の栄光になっていた。おれ自身も忘れていた。どうでもいいことだったんだ。
 だけど彼女は、ずっと覚えていてくれた。
 やがて年が明け、二月末、志望校になんとか合格。三月半ば、涙の卒業式。卒業アルバムに、クラス全員からメッセージを貰った。そのなかに、いつのまにか紛れこんでいた三木エーテルのサインとメッセージ。
 なんでだろうね。すげえ嬉しかった。
 あとは勢いだった。勢いってマジ大事。高校だって違う、これを逃したら次なんかない。今しかないと思ったんだ。


 ありがとう。また、作品を読んでください――三木エーテル。

   了
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