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再演


 昨日どんな服を着ていたかは覚えていなくても、十八歳だったあの夏のことは覚えている。
 風通しの悪い体育館ステージ。わら半紙に印刷された台本。暑さを増幅させる照明機器。役者の体調など考えもしない、分厚い衣装。九月に控えた芸術祭に向け、わたしたち演劇部は日々練習に励んでいた。
 わたしにとって最後の舞台。
 演出を務める遠藤は頭を抱えていた。というのも、演劇部の割り当ては三十五分、役者は十四人。芝居に限らずだが、尺が短ければ短いほど登場人物を増やしにくい。高校演劇の大会もたいてい五〇分から一時間くらいが基準で、三十五分の良作など皆無に等しい。いや、探せばきっとあるのだろうけれど、インターネットもろくに普及していなかったあの時代、本屋や図書館で探すのには限界があった。
 ではどうするのかというと、自分たちで書いた。遠藤には創作の才能があった。
 もちろん、才能があるからといって簡単ではない。どんな話にするのか、どんなキャラクターを登場させるのか、時間に納められるのか、なによりおもしろいのか。遠藤は自分に甘いところがあったから、周りのわたしたちがシビアにならなくてはいけなかった。何度も喧嘩した。
 遠藤の発想は、おもしろかった。マトリョーシカよろしく服を何枚も着こんだ少年少女と、そこに現れた旅の青年の物語だ。なぜそんなに服を着るのかと問う青年に、少年少女らはこう答える。
「楽しい思い出を脱ぎたくないの」
 このワンピースは十一歳のお誕生日にお母さんが作ってくれたの、このコートはクリスマスにお父さんが買ってくれたの――この言い訳を考えるのに、そうだ、遠藤は苦労していた。
 そして逆に少年少女らは、なぜそんなに薄着なのかと青年に訊く。答えはこうだ。
「なんでもかんでも捨てたのさ、旅には荷物になるからね」
 見かけは正反対の少年少女と青年だが、共通点があった。悲しい思い出は持っていない。楽しい思い出さえあればいいと陽気に暮らす彼らだったが、あるできごとをきっかけに疑問を抱き始める。
 オチを言うと、悲しくても、辛くても、思い出は大切。こう書くとオチていないような気がしてしまうが、いや、遠藤のまとめは見事だった。

 先日、遠藤から連絡があった。わたしの結婚式以来だから、二十年以上ぶりだ。たった一枚のはがきだったけれど、本当に驚いた。
 連絡があったことにも、内容にも。

「『カサネギの村』再演します 遠藤ハジメ」

 ビル街に紛れてぽつんと建つ小さな劇場に、わたしは末の娘と二人で向かった。本当は夫と観るつもりでチケットを買ったのに「芝居は好かん」と断られてしまったところ、娘が「暇だから」と来てくれた。
「お母さんが昔やった劇にも興味あるし」
 本当はそのあとに行くレストラン目当てのくせに、とも思ったが、ニコニコとそう言われると面映ゆい。
 劇場に着くとすでにたくさんの人が集まっていた。役者が多いせいもあるのだろう。と、覚えのある声がした。
「ひょっとして竹田先輩ですか?」
 駆け寄られ、お久しぶりです、とお辞儀する。お元気でしたか、名字はなにさんになったんですか、娘さんですか。他愛もない質問を矢継ぎ早にぶつけてくる。
 二つ下――つまり当時一年生だった宮島エツミだ。小柄ながら運動神経がよく、劇中のダンスはとびきりうまかった。少し丸くなったが屈託のない笑顔はそのままだ。
「自由席ですし、よかったら一緒に座りませんか」

 エツミによると、ほかの後輩たちは別日に来るらしい。
「今日はわたし一人で寂しかったけど、先輩がいらしたから逆にラッキーでした」
 おかしなことを言う、と思った。
 後輩たちとは卒業後、公演のときにしか会っていない。エツミたちの代とは一年しかかぶっていないし、わたしは九月で引退したから、実質半年だ。当然、共通の思い出も少ないのに。
「お母さんはどの役だったの?」
 パンフレットを見ながら娘が袖を引っぱる。わたしより先にエツミが答えた。
「青年の役よ。本当にかっこよかった。わたしたち、みんなあなたのお母さんに憧れてたのよ」
「えっ、そうなの?」
「知らなかったんですか?」
 クスクスと笑う。
「一年生も、二年の先輩たちも、あと遠藤先輩も、竹田先輩が憧れでしたよ」
 嬉しそうに話すエツミに思わず苦笑する。共学なのに女子ばかりの部活で、わたしは身長があったから、ほとんどずっと男役を演じていた。だから後輩たちが憧れを持つのはわからなくもない。でも遠藤? まさか。毎日のように喧嘩して、ときには怒鳴り合いにもなったのに、遠藤が? まさか。
 再会を喜んでくれるのはこちらも嬉しいけれど、話をでっち上げなくてもいい。娘が横でニヤニヤしている。
「でも青年なんて役――あ、始まる」
 場内が暗くなり幕が上がる。当時とは違うけれど、当時を思い起こさせる、舞台と衣装と小道具と――懐かしい、当時と同じセリフ。
 背の高い、薄着の彼女が語り出す。

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